あおもり今・昔14

諏訪沢焼

 本県を代表する(よう)業として、津軽の「悪戸(あくど)焼」・南部の「蟹沢(かにさわ)焼」が知られている。
▼諏訪沢焼「御神酒徳利(おみきとっくり)
諏訪沢焼「御神酒徳利」
▲写真提供・・・青森県立郷土館

伝統工芸「津軽塗」
▲伝統工芸「津軽塗」
 青森にも一時、窯が築かれたことがあった。大正3年〜6年の間、諏訪沢(すわのさわ)にあって「諏訪沢焼」と言われ、主に徳利(とっくり)が作られていた。それは、弘前市百石町で瀬戸物商をしていた尾張屋坂本という人が、客の名入り徳利(酒瓶)を製造するために、付近で良質の粘土が採取できる諏訪沢に築窯したものであった。
 もともと坂本氏は、福島県の相馬焼の窯元の人であったが、明治29年に弘前に移って瀬戸物店を開いていた。したがって作られた品は相馬焼の系統のもので、酒屋・醤油屋・油屋で使う徳利類を作り、青森では藤田組通りにあった和田が醤油容器として使っていた。
 現在「戸山団地」がある辺りは、昔「砥山(とやま)」と言われていたが、以前この戸崎と諏訪沢の間の山地では良質の砥石が採れ、その地を「砥採山(とっとりやま)」と呼んでいた。ここの砥石は、白灰色をしたいわゆる中砥(なかと)と言われるもので、それが風化し粘土になった層を原料とし、諏訪沢焼という“磁器”が作られたのである。
 また、砥採山で採れる砥石は、研ぎ出し塗りである津軽塗の加工に用いられたほか、遠くは若狭(わかさ)塗(福井県)、そして一部の輪島塗(石川県)にも用いられた。
 このほかにも、輪島塗では木地材料として多くのヒバ材が使われ、これらの材料の流通とともに技術の交流も行われたものであった。
 砥採山は、近年の砕石採取により今はほとんど消失してしまった。
【民俗部会調査協力員 三上強二】

※『広報あおもり』1998年2月15日号に掲載


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