あおもり今・昔7

霊柩車とタクシー

 青森で初めてタクシーが始まったのは昭和6年のことで、それは「堤タクシー」であった。堤町の中ほどの場所に車1台で開業し、その車種はたしかベンツだったと思う。当時の乗用車といえば、たいてい外車であったし、数も少ないものであった。何しろ自転車も珍しく、交通手段としての乗物はいわゆる「乗合馬車」であった。
 その後(昭和12・13年ころになって)、栄町にある珍田造花店(当時は花屋と呼んでいた)が、これもまた市内で初めて霊柩車を使用した。これも車種はベンツ(どういうわけか、今でもベンツが使われている)で、その車体に柳町の小細工師・奈良藤蔵さんが木彫りに漆を塗り、それに金箔を置いた飾りは、大いに話題になったものである。
 ところが当時は霊柩車で火葬場(当時は焼き場と呼んでいて、浦町にあった)へ行くというのは余程の「大屋家(おおやけ)」でなければ利用しなかったので車庫に入っていることが多かったし、タクシーも利用する人が少なかった。しかし、金箔で飾られた霊柩車は一般の人々にとって、羨望の的でもあった。
 その後、世の中の進展に伴ってタクシーを利用する人も増えてきて、1台で始まった堤タクシーも台数を増やし「珍田タクシー」となった。
 我が国で霊柩車が導入されたのは大正中ころのことで、大阪で始められたと言われているが、その車種も装飾も大体当時と変わっていないといえよう。また、市内の造花店では副業として「金魚ねぶた」を作っていたことは記録しておきたい。
【民俗部会調査協力員 三上強二】

※『広報あおもり』1997年11月1日号に掲載


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