ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > メールマガジン「あおもり歴史トリビア」 > 「あおもり歴史トリビア」第200号(2016年3月11日配信)
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更新日:2018年1月18日
こんにちは。嘱託員の村上です。2012年4月に配信を始めた「あおもり歴史トリビア」は今回で200号となりました。これからもご愛読のほどよろしくお願いいたします。
さて、いよいよ今月26日に北海道新幹線新青森-新函館北斗間が開業しますね。そこで、今回は青森と北海道を結ぶ特急列車などが通ってきた路線の一つである津軽線についてお話しします。
津軽線は青森と三厩を結ぶ55.8kmの路線で、昭和26年(1951)に青森-蟹田間、昭和33年に蟹田-三厩間が開通しました。昭和63年に青函トンネルが開通し、新中小国信号場(外ヶ浜町)で海峡線が分岐するようになると、青森と北海道を結ぶ列車が津軽線を通るようになりました。
このように、津軽線が開通したのは戦後のことですが、この地域に鉄道を整備する構想は戦前からありました。その構想とは大正11年(1922)に成立した改正鉄道敷設法別表で示された予定線の一つで、青森から三厩、小泊を経て五所川原までを結ぶというものでした。しかし、すぐ建設に着手するわけではなく、沿線自治体では帝国議会に請願書を提出するなど建設運動を行いましたが、なかなか建設には至りませんでした。
津軽線の着工が決定したのは昭和11年のことでした。翌年、滝内信号場(千刈)から蟹田までの線路選定が完了し、昭和17年度の開通を目指して駅舎や線路の建設が進められましたが、戦争のため工事は中断してしまいました。このとき、青森-蟹田間にはすでに線路が敷設されていたそうですが(『東奥年鑑』昭和17年版)、残念ながら列車が走ることはありませんでした。それどころか、せっかく敷いたレールは取り外され、ほかの路線に転用されたといいます。
点線で描かれた開通前の津軽線
(昭和23年「青森市鳥瞰図」、歴史資料室蔵)
戦後、再び津軽線の整備を求める声があがり、昭和26年6月から工事が行われました。そして同年12月5日、ついに青森-蟹田間が開業したのです。この日は正午から蟹田中学校で記念式典が開催され、約700人の来賓は青森駅から祝賀列車で移動しました。途中駅では沿線の住民が「祝開業」と書かれたカードや小旗を持って祝賀列車を迎えました。また、青森市では県内初の試みとして市営バスに飾りをつけた「祝賀花自動車」2台を運行して開業を祝ったそうです。約30年待ち続けた鉄道の開通を多くの人が喜んだのですね。
地図に描かれた津軽線
(昭和27年「青森近郊ハイキングコース図」、歴史資料室蔵)
※今回の内容は『新青森市史』通史編4、『東奥日報』昭和26年12月6日付朝刊などを参考にしました。
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