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更新日:2018年1月18日

「あおもり歴史トリビア」第192号(2016年1月15日配信)

浄土真宗本願寺派のお寺・安定寺(担当:工藤)

こんにちは!室長の工藤です。

藩政時代の津軽領には、浄土真宗本願寺派(西本願寺派)のお寺が少ないのはご存知でしょうか。例えば、文化元年(1804)の調査では、青森町の「安定寺」がただひとつあげられたのみです。また、少し古いデータになりますが、平成11年(1999)9月時点の『青森県宗教法人名簿』(青森県総務部文書課)によれば、県内に5か寺、うち津軽地域では青森市に2か寺、藤崎町に1か寺あるのみです。青森市の2か寺は、新町の安定寺と堤町の光行寺で、今回は安定寺についてご紹介しましょう。

安定寺
安定寺

安定寺については、「なぜ5番寺と言わないのか?」と質問されることがあります。たしかに、いわゆる4か寺(常光寺・正覚寺・蓮心寺・蓮華寺)と同じ通り沿いにあるので、不思議に思われるかもしれません。しかし、4か寺は弘前藩による町づくりとの関わりで「寺町」に成立したのですが、安定寺は時期も経緯もこれとはまったく異なって、青森の地に成立したお寺なのです。もちろん、立地も寺町ではありません。しかも、藩政時代に津軽領内の浄土真宗寺院を統括する立場にあった弘前の真教寺は、津軽領内には古来から西本願寺派の庵や道場がなかったこと、また、第3代藩主の信義が東本願寺派だけを認めると約束したことなどを理由にして、安定寺を認めようとしませんでした。

一方、弘前藩当局は安定寺を容認する構えをみせていましたが、結果的には真教寺の主張を入れて、少なくとも正徳3年(1713)6月中旬までは、安定寺の存在を公的には認めませんでした。これを認めた時期については、まだ十分な調査ができてはいませんが、元文4年(1739)3月までには正式に認めたものとみられます。

スペースの関係で安定寺成立の経緯についてはご紹介できませんでしたが、これについては『市史研究あおもり』第8号の「弘前藩領における浄土真宗本願寺派寺院の成立に関するノート」、または『陸奥新報』2011年4月4日付連載「北方史のなかの津軽」第67回「数少ない西本願寺派」に整理していますので、よろしければ併せてご覧ください。

 

問合せ

所属課室:青森市教育委員会事務局市民図書館 担当者名:歴史資料室

青森市新町一丁目3-7

電話番号:017-732-5271

ファックス番号:017-732-5272

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