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ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > メールマガジン「あおもり歴史トリビア」 > 「あおもり歴史トリビア」第191号(2016年1月8日配信)

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更新日:2018年1月18日

「あおもり歴史トリビア」第191号(2016年1月8日配信)

江戸時代の年取りのごちそう(担当:鈴木)

あけましておめでとうございます。本年も「あおもり歴史トリビア」をどうぞよろしくお願いいたします。

皆様は年末年始、どのように過ごされましたか?家族でにぎやかにごちそうを食べ、新年を迎えられたかたも多いかと思います。私は青森県出身ではないので、大晦日におせち料理を食べるという習慣に最初はびっくりしました。また、しめ飾りも宮城県などでは1月14日朝までそのまま飾り、夜に「どんと祭」に持参します。逆に地方によっては、一年中飾るところもあるそうです。年末年始の風習は、本当に土地によって様々ですね。

善知鳥神社のどんと祭
善知鳥神社のどんと祭(平成29年1月15日撮影)

歴史資料室では、12月の歴史講座で「江戸時代の商家の年末年始―豪商滝屋の日記から」というテーマで、藩政時代に青森町の豪商であった滝屋の人々がどのように年末年始を過ごしたかを取り上げました。これは、第38・39号のトリビアを更に詳しく解説したものです。

その一部をご紹介しますと、滝屋では3代目当主の忌日である29日と重ならないよう、大小の月で「年取り」の日を変えていました。12月が29日までの小の月の年には28日の昼に年取りの「祝魚」を家内一同でいただき、30日まである大の月の年には29日は精進にして30日に年取りをしています。この頃も、やはり年末の年取りでごちそうを食べたのですね。ちなみに年取りの魚は海の魚でなければならず、これは海水を泳ぐ魚を食べることにより、心身が清められるからだそうです(『日本民俗学大辞典』)。

では、年取りにはどんな料理を食べていたのでしょうか?残念ながら、当時の町人の食生活についての実態はあまりわかりませんが、参考として、明治時代に内藤官九郎が著した「弘藩明治一統誌月例雑報摘要抄」に、文政期(1818-1830)の弘前城下の上流家庭と中流家庭の年取りの料理が出ています。一例をあげると、皿は上流では鱠(なます、生魚を細く切って酢などで味付けしたもの)・タラの焼物かカナガシラ、中流以下では大根鱠・サケ塩引かハタハタ。小皿は上流がアワビかナマコ・ホヤ・カレイ小串、中流以下がタラの子セリあえ・ゴボウのでんぶ・ゴマメ入り黒大豆、などです。

ほかにも年中行事のあれこれや、当時の庶民生活の様子などがわかるこの「弘藩明治一統誌月例雑報摘要抄」は、読みやすくされて弘前図書館かたりべ双書『少年少女のための津軽の風俗』(昭和58年 弘前図書館後援会)として出版されています。主に弘前の話題が中心ではありますが、遊び、お菓子、髪型、湯屋の様子など面白い記述が多いので、青森市民図書館8階郷土あおもりコーナーまたは7階児童ライブラリー郷土コーナーで、ぜひ手に取ってみてください。

問合せ

所属課室:青森市教育委員会事務局市民図書館 担当者名:歴史資料室

青森市新町一丁目3-7

電話番号:017-732-5271

ファックス番号:017-732-5272

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