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更新日:2017年3月9日

「あおもり歴史トリビア」第190号(2015年12月25日配信)

明治時代のクリスマス(担当:村上)

今日はクリスマスですね。現在では年中行事として日本に定着していますが、明治時代の中頃までは知らない人が多かったそうです。では、青森市の場合はどうだったのでしょうか。今回は明治21年(1988)創刊の『東奥日報』に掲載された記事から、明治時代のクリスマスの様子をご紹介します。

クリスマスを取り上げた記事として、確認できた最も古いものは明治22年12月24日付の記事です。それは「クリスマス」という見出しで、12月25日を「耶蘇(やそ)基督(キリスト)の誕生日」と説明するものでした。クリスマスという言葉自体を説明していることから、まだ市民の多くはクリスマスを知らなかったと考えられます。

明治40年前後になると、市内の教会で行われるクリスマスの催しに関する記事が多くみられるようになります。催しでは聖書の朗読、祈祷、賛美歌の合唱などを行い、そのほかに活人画(扮装した人物が背景の前に立って画中の人物を演じるもの)や琴の演奏、落語などの余興が用意されることもあったようです(明治39年12月27、28日付、明治41年12月28日付)。また、会場には「祝聖誕」と描かれた額や、英語で「楽しきクリスマス」というフレーズが掲げられ、万国旗や紅白幕が張られ、銀紙や藤の造花、杉の葉などによる飾り付けが行われました(明治40年12月26日付)。現在のクリスマスの装飾と異なるところもありますが、華やかだったことでしょう。

飾り付けに欠かせないクリスマスツリーについては、明治41年の浦町聖公会(現青森聖アンデレ教会)のクリスマス祝会に「クリスマストリー」が飾られ、明治43年の日本基督教会(現日本基督教団青森松原教会)のクリスマス祝会では「クリスマスツレー」に飾り付けた玩具を信者に贈ったという記述がありました(明治41年12月28日付、明治43年12月28日付)。この頃は「クリスマスツリー」という言葉も浸透していなかったようですね。

一方、サンタクロースに関する記述は見つけることができませんでした。日本においてサンタクロースが広告に用いられるようになったのは明治39年といわれており、まだ広く知られていなかったのかもしれません。

日本のクリスマスが大衆化するのは大正時代以降といわれています。青森市におけるクリスマスの催しはどのように変わっていくのでしょうか。今後調べていきたいと思います。それでは、よいクリスマスを!

※今回の内容はクラウス・クラハト 克美・クラハト『クリスマス―どうやって日本に定着したか』(1999年 角川書店)などを参考にしました。

問合せ

所属課室:青森市教育委員会事務局市民図書館 担当者名:歴史資料室

青森市新町一丁目3-7

電話番号:017-732-5271

ファックス番号:017-732-5272

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