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更新日:2017年3月9日

「あおもり歴史トリビア」第183号(2015年11月6日配信)

青森の地名と「青森山」(担当:工藤)

こんにちは!室長の工藤です。

皆さんは「青森山」をご存知でしょうか。

お寺の山号(さんごう)で「青森山」といえば常光寺をいいますが、こちらの「青森山」は文字どおりの「山(やま)」、すなわち「平地より著しく高く盛り上がった地形の所」(『岩波国語辞典』第5版)を指します。

この「青森山」は、明治42年(1910)に発刊された『青森市沿革史』の中に登場し、藩政時代に「青森」が誕生する以前、現在の本町2丁目(藩政時代の米町)にあったという山です。そして、弘前藩庁がこの地に新しい町づくりを始める際に、「青森山」を削り町の中核部分ともいえる浜町・大町・米町の造成をしたのだそうです。『青森市沿革史』の編者は旧弘前藩士で漢学者の葛西音弥という人物で、彼はこの中で私見を述べる際には「編者曰」の書き出しで始め、それが史料的な根拠に基づく場合にはその典拠を明示します。ところが、「青森山」の叙述に関しては、典拠を示さない私見として位置付けています。また、私自身も多くの資料をこれまで目にしてきたつもりでいますが、これ以外に「青森山」に関する記録等を見たことはありません。目下のところ、葛西の仮説ではないかと見立てています。

米町二丁目
米町二丁目(明治末~大正初頃、歴史資料室蔵)

「米町」の解説板
旧町名「米町」の解説板(本町二丁目)

さて、「青森」という地名は、9月25日配信の「あおもり歴史トリビア」第177号でご紹介したように、当時の沿岸部にあった「青い丘(森は丘の意)」に由来するという藩政時代からの伝承によります。これが「青森縁起」としてまとめられ、多少の読み替えはあったとしても『青森市沿革史』が刊行される頃までは、広く知られていたと考えられます。

さらに、大正~昭和の初め頃と推測しているのですが、伝承の誤伝が生じます。すなわち、「青い丘」=「青森山」と歴史的な背景がまったく違うふたつの事象(ひとつは存在の史料的根拠さえも疑わしい)が結び付けられてしまうのです。そして、いつの頃からか、本来の地名伝承とはまったく縁のない「青森山」があったという場所が、「『青森』発祥の地」として知られるようになるのです。

 

問合せ

所属課室:青森市教育委員会事務局市民図書館 担当者名:歴史資料室

青森市新町一丁目3-7

電話番号:017-732-5271

ファックス番号:017-732-5272

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