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更新日:2017年3月9日

「あおもり歴史トリビア」第182号(2015年10月30日配信)

創立90周年を迎えた青森聾学校(担当:村上)

今回は、今年創立90周年を迎えた青森県立青森聾学校に関するお話を紹介します。

青森聾学校のルーツは大正14年(1925)10月15日に開設された青森盲人教育所(以下、教育所)です。設立者は大正13年に東京盲学校師範部を卒業した西蓮寺幸三郎でした。

西蓮寺幸三郎
西蓮寺幸三郎
(青森県立青森盲唖学校『県立移管記念』、昭和12年7月、歴史資料室蔵)

さて、日本の盲・聾学校は、大正12年に制定された「盲学校及び聾唖学校令」により道府県に設置が義務づけられましたが、設置が困難な場合は7年の猶予期間が認められており、青森県は設置延期の認可を受けていました。しかし、期限とされた昭和6年になっても県立学校を設置できず、ひとまず同年4月、私立八戸盲唖学校を県立代用校に指定しました。

この頃、青森市に県立の盲・聾学校を設置することを目指して活動した方々がいました。その一人が昭和5年から昭和9年まで青森市長を務めた北山一郎です。北山は昭和4年に教育所の学芸会をみて感激し、教員たちの努力に心を動かされ、盲・聾学校教育に関心を持つようになったといいます。市長に就任した北山は県立学校整備という課題に取り組みたいと考え、教育所の運営者たちと相談し、まずは私塾のかたちで運営されていた教育所について、文部省に私立学校としての設立認可を申請することにしました。

そこで、昭和6年5月、北山ら8人が学校設立者となり、校名を青森盲唖学校と改称して文部省に設立認可を申請しました。この申請は同年8月に認められ、私立青森盲唖学校が誕生しました。校長には設立者の一人である張間多聞が就任しました。

張間多聞
張間多聞(『県立移管記念』より)

同年11月には学校設立を記念して演奏会が開催され、北山は設立者を代表して挨拶をしています。『東奥日報』に掲載されたその要旨では、北山は障がいを持つ人々に対する教育や支援の必要性を説き、市民に対して「一日も早く県立校実現のために応援される様御願い致します」と訴えています。この演奏会は青森市民に盲・聾学校の重要性を伝える機会となり、学校にはさまざまな支援が寄せられました。

青森盲唖学校は県への移管を目標として学校整備を進めていきましたが、昭和9年4月、校長の張間が亡くなってしまいます。学校設立者たちは緊急の協議会を開き、なんと市長在職中の北山を校長代理に選びました(翌年、校長に就任)。北山は学校の代表者として文部省や県などの関係者と折衝を続けました。

北山一郎
北山一郎(『県立移管記念』より)

昭和12年、青森盲唖学校はついに県へ移管されることになりました。そして、県立学校の設置を強く望んでいた北山が初代校長に就任したのです。

県へ移管された青森盲唖学校
県へ移管された青森盲唖学校(『県立移管記念』より)

※今回の内容は『青森県教育史』第二巻 記述篇2(1974年 青森県教育委員会)、『青森県立青森聾学校六十年誌』(1985年 青森県立聾学校)などを参考にしました。

問合せ

所属課室:青森市教育委員会事務局市民図書館 担当者名:歴史資料室

青森市新町一丁目3-7

電話番号:017-732-5271

ファックス番号:017-732-5272

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