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更新日:2017年3月9日

「あおもり歴史トリビア」第176号(2015年9月18日配信)

宮澤賢治と棟方志功(担当:村上)

こんにちは。嘱託員の村上です。私は8月29日・30日、弘前市で行われた宮沢賢治学会弘前セミナー「宮沢賢治と津軽in弘前」に参加しました。このセミナーは賢治が大正14年(1925)4月と6月、弘前市の歩兵第三十一連隊に入営していた弟・清六を訪ねてから今年で90年となることを記念して開催されたものです。また、同じ年の9月にも陸軍山田野演習場(現鰺ヶ沢町)で演習中の清六のもとを訪ねていることから、セミナー2日目には演習場跡地を見学するバスツアーも行われました。

旧山田野演習場近くにある五能線鳴沢駅
旧山田野演習場近くにある五能線鳴沢駅

セミナーに参加してから、賢治と青森市には何か関係があるのだろうかと思い、調べてみました。すると、青函連絡船への乗り換えなどで何度か青森駅を利用していることがわかりました。『春と修羅』に「青森挽歌」という作品があることをご存じのかたもいらっしゃると思います。

「青森挽歌」が作られたのは大正12年8月1日で、賢治は花巻から樺太(現サハリン)に向かう途中でした。当時、賢治は花巻農学校の教師をしており、王子製紙株式会社樺太分社に勤務する後輩に教え子の就職を依頼する目的で樺太へ向かったといいます。

さらに調べていくと、青森市出身のある人物が賢治の作品に関わっていることがわかりました。その人物とは棟方志功です。賢治が詩人・佐藤一英(いちえい)編集の『児童文学』第二冊(昭和7年3月10日、文教書院)に「グスコーブドリの伝記」を発表した際、挿絵を担当したのは志功だったのです。志功は弘前市出身の作家・福士幸次郎の紹介で一英と出会い、挿絵の注文を受けたといわれています(志功と一英との出会いについては諸説あります)。挿絵は6点あり、うち4点には「六年九月」と記されています。

賢治は詩や童話などさまざまな作品を残していますが、その多くは昭和8年(1933)に亡くなったあと発表されました。つまり、志功が挿絵を担当した「グスコーブドリの伝記」は賢治が生前に発表した数少ない作品の一つだったのです。志功が賢治と直接会う機会はなかったようですが、二人に接点があったとは興味深いことですね。

※今回の内容は『【新】校本 宮澤賢治全集 第16巻(下)』補遺・資料 年譜篇(2001年、筑摩書房)、『生誕百年記念展 棟方志功』(2003年、NHK仙台放送局)、宇賀田達雄『祈りの人 棟方志功』(1999年、筑摩書房)などを参考にしました。なお、志功による挿絵は『【新】校本宮澤賢治全集 第12巻』童話5・劇・その他 校異篇(1995年、筑摩書房)にも掲載されています。

問合せ

所属課室:青森市教育委員会事務局市民図書館 担当者名:歴史資料室

青森市新町一丁目3-7

電話番号:017-732-5271

ファックス番号:017-732-5272

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