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更新日:2017年3月9日

「あおもり歴史トリビア」第171号(2015年8月14日配信)

油川「先人の足跡消えず」の碑(担当:工藤)

こんにちは!室長の工藤です。

青森市西部の油川地区に、藩政時代に青森の町づくりに力を尽くした森山弥七郎の供養碑がある浄満寺というお寺があります。このお寺から道路(国道280号)を挟んで向かい側に、「青森市消防団第五分団機械器具置場」がある一角があります。昭和10年(1935)の「油川現勢一班」の図面によれば、当時この辺りに油川町役場と学校がありました。そして、現在そこには「先人の足跡消えず」と記された碑が建っています(昭和54年12月建立)。これを揮毫(きごう)したのは当時の青森市長工藤正です。彼は、初代の青森市長である工藤卓爾の孫で、この年4月の選挙で市長に当選しました。

「先人の足跡消えず」と記された碑
「先人の足跡消えず」と記された碑

さて、この碑ですが、「油川村制91年・同町制60年・青森市合併40年」を記念して建てられたということです。すなわち、碑が建てられた昭和54年は、明治21年(1888)の町村制の公布から91年(施行からはちょうど90年)、大正8年(1919)の町制施行から60年、そして昭和14年の青森市との合併から40年という年になります。これらのうち、町制施行については「あおもり歴史トリビア」第70号(平成25年8月16日配信)で、当初は「大浜町」という名前で町制施行を目指していたということを紹介しています。

ここでは、青森市との合併について少し記しておきましょう。油川町が合併1か月前の昭和14年5月にまとめた「青森市・油川町合併報告書」によれば、合併は県が積極的であり、中央官庁である内務省も青森市の都市計画実施の一歩として、この合併を実現したい意向でした。一方、油川町では合併への反対論があったものの、町の将来、さらには町民の福利増進のためにも、合併すべきという結論に達したとあります。そして、報告書は「かつての大浜を凌駕するような大油川となることで大青森建設に協力し、この合併を意義あるものにしよう」と町民へのメッセージを記し、結んでいます。

こうして、中世以来の繁栄の歴史を刻む油川と藩政時代に城下弘前の外港として成長した青森、これら外浜地域で有力なふたつの「まち」がひとつになったのです。

お知らせ

『広報あおもり』8月15日号に、今回で14回目となる歴史コラム「青森タイムトラベル」が掲載されています。「東部地区の失われた産業遺産」というテーマで、浅虫の製塩、東岳の鉱山、青森種鶏場の3つを紹介しています。こちらも併せてご覧ください。

問合せ

所属課室:青森市教育委員会事務局市民図書館 担当者名:歴史資料室

青森市新町一丁目3-7

電話番号:017-732-5271

ファックス番号:017-732-5272

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