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更新日:2017年3月9日

「あおもり歴史トリビア」第157号(2015年5月8日配信)

明治43年5月3日に起きた青森大火(担当:鈴木)

こんにちは。大型連休も過ぎ、いよいよ季節は初夏ですね。

さて、「あおもり歴史トリビア」第8号でもご紹介しましたように、青森は江戸時代から火災の多いところでした。安政6年(1859)5月21日には青森町の約9割の家屋が焼けたといわれる安政の大火があり、明治期に入ってもたびたび火災に見舞われています。

この時期は空気が乾燥するせいでしょうか、『青森県総覧』(東奥日報社 1928年)に挙げられている明治期に現在の青森市域で起きた大きな火災21件中、なんと6件が5月に発生しています。その中でも、明治43年(1910)5月3日に発生した火災は空前の惨事でした。

この日は乾いた強い西風が吹いており、午後1時少し前に安方町から発生した火は暴風に煽(あお)られて飛び火、国道の北側から海岸付近までの大部分と旧線路通り北側の一部、さらに堤川を越えて対岸の柳原遊郭(現港町付近)を焼き尽し、ようやく4時間半後に鎮火しました。この大火で、民家のみならず市役所、市立病院、郵便局、郡役所、警察署、市立図書館などのほか、学校では新町尋常小学校および4月に移転したばかりの橋本尋常小学校、社寺では善知鳥神社、事代主神社、安定寺、常光寺、蓮華寺、蓮心寺、さらに聖アンデレ教会、メソジスト教会、日本キリスト教会、天主公教会、ほかにも新聞社・銀行など多数の建物が失われ、旭橋、石森橋も焼失してしまいました。

大火による焼失範囲
大火による焼失範囲(「青森市大火紀念絵葉書」、歴史資料室)

しかし、青森歩兵第五連隊の活躍でいくつかの公共施設が類焼を免れ、師範学校、青森中学校、青森高等女学校、浦町尋常小学校、長島尋常小学校、青森商業学校、公会堂、朝日座、正覚寺、光明寺が避難所になりました。新聞によれば、師範学校の生徒たちが家財の運び出しや防火消火のみならず、避難所での食糧の分配にも大いに尽力したとあり、若い力が大きな助けになったことがわかります。

避難所となった浦町尋常小学校
避難所となった浦町尋常小学校(歴史資料室蔵)

避難所での食糧分配のようす
避難所での食糧分配のようす(歴史資料室蔵)

また、青森市では前年の12月に水道敷設工事が完了していましたが、猛火の前に手の施しようがなく、給水栓も800か所が罹災しました。6月には落成式が予定されていましたが、これも取り止めとなってしまいました。

この火災では、死者26名、負傷者160名、焼失家屋は5200戸以上とされ、全国から義援金が寄せられ、明治天皇皇后両陛下からも罹災者救恤(きゅうじゅつ)金1万円が下賜(かし)されました。これらは罹災者の救済や職を失った人々のための授産場建築、学校の再建、消火のための蒸気ポンプや器具の導入に役立てられました。また、この大火ののち、改めて火災に強い青森市の建設が必要とされ、建築の際に間隔をあけるか不燃物の防火壁を設けること、防火線道路の建設、火防用水堰の整備など、その後の街づくりに防火のための工夫が取り入れられたのでした。

青森市大火米町付近の惨状
青森市大火米町付近の惨状(歴史資料室蔵)

『青森市火災誌』
『青森市火災誌』(大正9年発行、歴史資料室蔵)

問合せ

所属課室:青森市教育委員会事務局市民図書館

青森市新町一丁目3-7

電話番号:017-732-5271

ファックス番号:017-732-5272

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