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更新日:2017年3月9日

「あおもり歴史トリビア」第153号(2015年4月10日配信)

「県都青森」の誕生(担当:工藤)

こんにちは!室長の工藤です。

私たちは青森市が県庁所在地であることに、疑問を持つことなどまずありませんよね。ところが、藩政時代の政治の中心地(藩庁所在地)が、近代に入ってほかの都市に変更されたという事例は全国的にそう多くはなく、「近代地方政治の中心地である県庁が、青森へ移転したことは異例であった」ようで(『新青森市史』通史編第3巻「あいさつ」)、「日本の歴史」というフィルターでみると、弘前から青森への県庁の移転は極めて珍しいことであったのです。

では、どうして青森に県庁が移転することになったのでしょうか。契機となったのは、明治元年(1868)10月からの箱館戦争であったとみています。というのは、この時青森町は新政府軍の基地となり、軍勢が約半年間ここに滞在します。そこで、新政府軍ばかりでなく、ここを領知とする弘前藩までも青森町が北海道への渡航地として有望であることを認識・実感します。

ですから、北海道開拓を進める新政府にとって、青森は非常に重要な場所として位置づけられていました。そんなことを反映してか、青森町が新政府によって直轄化されるという噂さえあったようです。一方の弘前藩もおなじく青森の重要性を意識して、藩主承昭(つぐあきら)が1年のうち半分を青森で過ごし政務を行うという計画を立てます。しかし、弘前藩の計画は結果として明治4年7月の廃藩置県によって未完に終わります。

承昭が「仮藩庁」として執務を行った蓮心寺
承昭が「仮藩庁」として執務を行った蓮心寺(歴史資料室蔵)

これに対して新政府の方では、明治4年9月に野田豁通(のだ・ひろみち)が弘前県の大参事に任命されます。野田は熊本藩士で、箱館戦争では青森口全軍会計統括として従軍していました。その関係で野田は弘前藩の重臣、さらには弘前・青森の富豪層との交渉もありました。この経験により、彼はこの地の人々の気質であったり、地域の問題点をよく知っていたのです。その野田が赴任の直前に大蔵省に伺書を提出し、県庁を弘前から青森に移転するよう主張します。

つまり、青森町は近世から近代という時代の転換期に、この地に関わった人々から政治的に重要な場所であると認識されていたのです。野田の主張が政府の意思決定にどれだけ有効であったかは分かりませんが、近代という時代の要請によって青森町への県庁移転は実現したのだろうと思います。「異例」と評価される「県都青森」の誕生は、時代の転換期にこの地を熟知している者たちによって導き出された、ひとつの結論だったのです。

問合せ

所属課室:青森市教育委員会事務局市民図書館

青森市新町一丁目3-7

電話番号:017-732-5271

ファックス番号:017-732-5272

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