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更新日:2017年3月9日

「あおもり歴史トリビア」第146号(2015年2月20日配信)

青森市の最低気温歴代1位(担当:鈴木)

春の足音が近づいていますが、まだまだ寒い日も多いですね。

先日、『青森県の気象百年』(昭和61年 青森地方気象台 編集発行)という本の中に、びっくりするような数字を見つけました。昭和6年(1931)2月23日朝の青森市の最低気温は、なんと零下24.7度!!この年の2月は、最低気温の月平均が零下10.6度、月平均気温も零下5.4度となっていますので、本当に寒かったようです。

この昭和6年2月23日の『東奥日報』夕刊および24日朝刊を見ますと、この記録は青森測候所開設(明治15年)以来の最低で、この少し前2月19日から20日にかけて記録した零下21.2度を更に上回るものでした。青森市内では、20日から23日朝にかけて200か所余りで水道管が破裂、これは市水道部にとっても未曾有の出来事でした。この寒さは千島列島付近にあった発達した高気圧の影響で、降雪はなく、晴れてキーンと凍てつく寒さだったようです。この前日の22日は晴天、夜が明けた23日も朝の酷寒とうって変わり、日中は春のような陽射しとなりました。ただし、この日の最高気温は零下3度と書かれていますから、暖かかったというわけではなさそうですが…。

この年は1月から2月上旬にかけて大吹雪、2月は記録的低温、そして春になっても低温と天候不順が続き、稲は苗の生育や出穂が遅れ、成熟期間が短かったために未熟米が多く、青森をはじめ東北・北海道地方は大正2年以来の大凶作となりました。その後、昭和9年、10年と冷害や水害で凶作が続き、農村部では欠食児童や娘の身売りが急増するなど厳しい生活を強いられました。また昭和恐慌といわれた経済危機の影響による失業者の増加もあいまって、県および市町村は救済土木事業、ブラジルなどへの海外移民奨励斡旋などを行いました。

油川町の凶作関係書類
油川町の凶作関係書類(市史編さん室蔵)

油川町の「身売防止ニ関スル綴」
油川町の「身売防止ニ関スル綴」(市史編さん室蔵)

 

『精農は凶作を克服する』
『精農は凶作を克服する』(昭和9~10年頃、青森県発行、市史編さん室蔵)

余談ですが、歩兵第五聯隊が八甲田で遭難した明治35年(1902)1月の大寒波の時、遭難3日目にあたる1月25日、青森の日最低気温は零下11.6度でしたが、同じ日に北海道の上川測候所(現旭川市)では零下41.0度を記録しました。この明治35年は、青森では2月19日に月最深積雪歴代9位の166センチを記録する豪雪年で、また春以降の天候も不順となり、やはり凶作に見舞われたのでした。

現在のところ、青森市で昭和6年に記録した零下24.7度は青森市の最低気温歴代1位、旭川市で明治35年に記録した零下41.0度は国内気象官署の最低気温歴代1位です。温暖化が進む現代では、この記録はなかなか破られないかもしれませんね。

問合せ

所属課室:青森市教育委員会事務局市民図書館 担当者名:歴史資料室

青森市新町一丁目3-7

電話番号:017-732-5271

ファックス番号:017-732-5272

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