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更新日:2017年3月9日

「あおもり歴史トリビア」第143号(2015年1月30日配信)

映画館のあった仲町通り(担当:村上)

新町通りから南へ延びる通りの一つに夜店通りがありますが、この通りを南進して国道7号を越えた先にある仲町(なかちょう)通りには、かつて若者の人気を集めた娯楽施設がありました。それは映画館やボーリング場などを集めた総合レジャービル・青森日活レジャーセンターです。

センターのあった場所は現在マンションになっていますが、実は大正時代から映画館(活動写真館)があった場所でした。今回は映画館や劇場が立地して賑わった仲町通りについてお話しします。

仲町通りに初めてできた映画館は大正8年(1919)1月に開館した大成館です。大正時代の仲町通りは「大成館通り」とも呼ばれ、通りには縁日商人による夜店が出て東京の浅草のような賑わいだったといいます。大成館はのちに館名が電気館と変わり、経営者も何度か変わったようです。

「実地踏査青森新市街図」に描かれた大成館
「実地踏査 青森新市街図」(大正11年発行)
に描かれた大成館

「大日本職業別明細図之内青森県」に描かれた電気館
「大日本職業別明細図之内 青森県」(大正15年発行)
に描かれた電気館

例えば、昭和10年代に電気館を経営していたのは今井亦夫という人物でした。彼は浪打で青森同情園という福祉施設を経営していた今井武一の跡継ぎです。孤児や貧困者の救済事業を行っていた青森同情園は厚生省や青森市から補助金を受けるほか、映画館の経営を行うことにより資金を得て運営されていました。

さて、昭和20年(1945)7月の青森空襲では電気館を含め多くの映画館が被災しました。青森市が復興していく中で映画館や劇場も建設されるようになり、空襲から一年後の昭和21年7月28日には、電気館のあった場所に劇場・明治座が開館しました。残念ながら明治座は昭和22年4月に起きた旭町・古川・長島地区の大火により全焼、閉館してしまったようですが、その跡地には昭和25年6月に映画館・第一劇場が開館しました。仲町通りの周辺には奈良屋劇場(現シネマディクト)やロマンス座などの映画館も開館し、たくさんの若者が集まるようになりました。

そして、昭和43年3月に第一劇場が閉館したあと、昭和44年12月に青森日活レジャーセンターが開館しました。センターは多くの市民に利用されましたが、平成に入ると映画離れが進んだこともあって青森市内の映画館数は減少し、センター内の映画館・松竹地下劇場も平成2年(1990)4月に閉館しました。

『新青森市史』ではかつて青森市にあった映画館についても取り上げておりますので、以前ご紹介したマップ「嗚呼、懐かしのぼくたちの青森市―『新青森市史』にみる中心市街地の戦後史―」とあわせてご覧いただければと思います。

マップ「嗚呼、懐かしのぼくたちの青森市」より仲町通り周辺
マップ「嗚呼、懐かしのぼくたちの青森市」より仲町通り周辺

問合せ

所属課室:青森市教育委員会事務局市民図書館 担当者名:歴史資料室

青森市新町一丁目3-7

電話番号:017-732-5271

ファックス番号:017-732-5272

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