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更新日:2017年3月9日

「あおもり歴史トリビア」第141号(2015年1月16日配信)

青森飛行場の誘致と雲谷平(担当:工藤)

こんにちは!室長の工藤です。

2014年8月22日付(第121号)のメールマガジンで、戦前期に油川町にあった青森飛行場を誘致する際に、その候補地のひとつとなった荒川村についてご紹介しました。今回は、やはり有力な候補地であった、横内村雲谷平(もやたい)についてご紹介することにしましょう。

雲谷平(ヴィラシティ雲谷の東側一帯)は標高200メートル前後の高原で、『東奥日報』昭和7年(1932)7月14日付夕刊で青森市付近への飛行場誘致の第一報が報じられた直後、7月15日付『東京日日青森版』の取材に北山一郎青森市長は、候補地として「近いところで(荒川村の)刑務所跡、山の方とすれば雲谷などでも十分でしょう」と答えています。雲谷平は当初から有力な候補地として目されていたようです。そして、雲谷平が有力視されたのにはふたつの理由があって、ひとつは敷地を無償で提供できたこと、もうひとつはすでに飛行機の離着陸の経験があったことにあります。

ヴィラシティ雲谷周辺
ヴィラシティ雲谷周辺(平成20年撮影)

さて、そこから少し遡った昭和5年、パイロット吉原清治(よしはら・せいじ)の雲谷平着陸に対する記念品として、報知新聞社が横内村在郷軍人会と青年団にあてて「プロペラ1本」を寄贈します。パイロットの吉原清治とは、この年の8月にベルリン―東京間を11日間で飛行した人物です(報知新聞社主催)。シベリア経由ということなので、雲谷への着陸はこの大飛行のなかでのことだと推測されます。

また、翌昭和6年6月から10月にかけて、森永キャラメルが宣伝のために飛行機セールを行いました。上空からビラやキャラメルの引換券を投下したそうです。そして、この時にも、雲谷平に着陸をしています(8月1日)。こうした経験が、飛行場誘致を目指す横内村の最大の強みであったといえましょう。

飛行場の誘致運動は、横内村雲谷平・荒川村・油川町の3か所を中心に、わずか2か月半という極めて短い期間で争うものでした。雲谷平には強力なアドバンテージがあったものの、残念ながら誘致されませんでした。これもまた理由はふたつ。ひとつは、平坦地ではなく傾斜があること。もうひとつは、霧でした。立地条件ばかりはどうすることもできません。一方、ライバルで誘致に成功した油川町の地所は、「平坦地」であることが売りだったのです。

問合せ

所属課室:青森市教育委員会事務局市民図書館 担当者名:歴史資料室

青森市新町一丁目3-7

電話番号:017-732-5271

ファックス番号:017-732-5272

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