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更新日:2016年1月8日

「あおもり歴史トリビア」第133号(2014年11月14日配信)

『白菊物語』(担当:工藤)

こんにちは! 室長の工藤です。

今回は、『白菊物語』という本を紹介します。この本は、青森市出身の佐藤直司(さとう なおじ)さんがお書きになられました。ただ、自費出版(コシーナ新書)なので、ご存知の方はあまりいないのではないかと思います。この夏、著者である佐藤さん(現在は関東にお住まい)が編さん室を訪ねてこられ、こちらの本を頂戴いたしました。もっと早くに紹介したかったのですが、少し季節が過ぎてしまいました。

『白菊物語』
『白菊物語』

さて、『白菊物語』という書名では内容をイメージするのは難しいでしょう。でも、主人公のひとりがイタリア人の「ジュゼッペ・ファブリ」とその名前を聞けばお分かりでしょうか。そう、大正期に油川村で缶詰工場「フランコ・イタリヤン缶詰会社」を営んだという、あの「イタリア館」のファブリです(ファブリについては、平成25年(2013)3月8日の「あおもり歴史トリビア」第48号でも紹介しています)。

佐藤さんは、大正3年(1913)に来日したファブリが、甥のジョヴァンニ・ロンチとともにイタリア映画の興行に関わっていたことに着目して、映画評論誌『キネマ・レコード』などから彼らに関係する記事を見出し、話を進めます。ファブリたちによる映画興行は全国で好評を博しますが、彼はその後、神戸のラザラ・オンベール商会などが出資し、油川に建設した缶詰工場で監督者となります。

フランコ・イタリヤン缶詰会社の広告
フランコ・イタリヤン缶詰会社の広告
(『油川町案内誌』市史編さん室蔵)

神戸の商社が青森県に缶詰工場を建設した理由について、佐藤さんは当時欧米で普及していた「サニタリー缶(これまでとは違う方式によって封をする技術で組み立てた缶)」に目をつけます。当時、国内でサニタリー缶を導入していたのは函館の堤商会(現北海製缶)であったそうで、これを調達するのに便利な場所ということからこの地が選ばれたといいます。ただ、ファブリは工場の落成から3か月余りが過ぎた大正7年7月4日、油川の地で生涯を閉じました。

大正期の油川本町通り
大正期の油川本町通り
(『油川町案内誌』市史編さん室蔵)

一方、甥のロンチは、映画の世界に身を置き続け、日本映画のイタリアへの輸出を試みます。作品のタイトルは「白菊物語」、監督は日本映画界の改革運動の旗手と謳われた帰山教正(かえりやま のりまさ)です。これが成功すれば日本初の映画の輸出‥となる訳ですが、佐藤さんは「筆者の調査では結局『白菊物語』の顛末(てんまつ)を明らかにすることはできなかった」といい、ご自身の思いを込めながら物語の幕を下ろします。

ジュゼッペ・ファブリは、青森市の近代史を彩った人物のひとりといっていいでしょう。しかし、彼についてはあまり知られていません。『白菊物語』はそんなファブリの謎を佐藤さんの視点から「解いた」一冊です。また、大正期の映画史の一コマとして読んでも面白いと思いますよ。

問合せ

所属課室:青森市教育委員会事務局市民図書館 担当者名:歴史資料室

青森市新町一丁目3-7

電話番号:017-732-5271

ファックス番号:017-732-5272

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