ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > メールマガジン「あおもり歴史トリビア」 > 「あおもり歴史トリビア」第132号(2014年11月7日配信)
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更新日:2016年1月8日
こんにちは。今日で青函シリーズ最終回です。今回は、「青函博」についてです。
青函博は、正式名称を「青函トンネル開通記念博覧会」、略称を「青函博」といい、昭和63年(1988)7月9日(土曜日)~9月18日(日曜日)の72日間、青森・函館市内で開催しました。青森会場は、地域略称を「青森EXPO’88」といい、青森県観光物産館・アスパム周辺において、青森県と青森市の主催で「新たな交流と発展―北の飛躍をめざして」をテーマに世界最長の海底トンネルの開通を記念し、また、これによってもたらされる青函経済文化圏の新たな未来をさぐろうと開催しました。
青函トンネルの着工が始まったのは、昭和39年5月の北海道側の掘削工事からで、21年あまりの歳月を経て、昭和60年3月10日に本坑が貫通し、昭和63年には海面下240メートル、総延長53.85キロメートルのトンネルが完成しました。
博覧会の開催は、昭和56年1月に公表され、翌年3月に「青函トンネル開通記念博覧会実行委員会」が設立されました。当初、昭和60年夏に開催予定でしたが、工事の遅れにより延期となり、事務局も縮小しました。事務局が再開されたのは昭和60年で、昭和63年に開通開業が見込まれるとして事業が本格化しました。
会場は、青森駅に近い、もともと青森港の一部を海砂で埋立て盛土して造られたほぼ平坦な用地アスパム周辺11ヘクタールを利用しました。
青函トンネル開通記念博覧会の会場
(昭和63年、市広報広聴課蔵)
パビリオンは、テーマ館、単独館、集合館など10棟と海上に係留された青函連絡船「八甲田丸」から成り立っていました。テーマ館は、当時日本一のエアドームを目玉にと、長さ195メートル、最大幅70メートル、最大高さ19.5メートルの白いもこもこした形がユニークな、愛称を「夢来(むっく)ちゃん」といい、ドーム内に「テーマ展示ゾーン」、「企業出展ゾーン」、2,000人収容できる「イベント広場」が造られました。エアドームは大変な人気で、中でも「テーマ展示ゾーン」では、来場者がクイズに正解すると巨大な「シャコちゃん(マスコットマーク)」のバルーンが上がり、そのたびに子どもたちの歓声が響いていました。また、「イベント広場」では、毎日、青森県出身タレントをはじめ、人気タレントが出演し、豪華、華麗なショーで観客を魅了しました。
八甲田丸とエアドーム
(昭和63年、市広報広聴課蔵)
ほかに3Dアドベンチャーシアター、セキスイハイム館など企業独自で建設したパビリオンを含め、52の企業が出展しました。
総入場者数は、147万人あまりで目標人数を大幅に上回り、大成功のうち幕を閉じました。
「青森EXPO’88」の記念ライター(筆者蔵)
さて、あさって11月9日(日曜日)には、花びしホテル(函館市)で「青函ツインシティ提携25周年記念式典」が開催されます。また、記念式典終了後、「記念フォーラム」として、縄文文化をキーワードに基調講演とパネルディスカッションが行われます。
平成28年3月に新幹線開通が予定され、ますます函館市が、身近になりますね。
※今回のトリビアは、『新青森市史』通史編第4巻現代、『青函トンネル開通記念博覧会 青森EXPO’88』(青函トンネル開通記念博覧会実行委員会)などを参考にしました。
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