ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > メールマガジン「あおもり歴史トリビア」 > 「あおもり歴史トリビア」第94号(2014年2月7日配信)
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更新日:2015年6月1日
こんにちは、嘱託員の小田桐です。今年は昨年と比べて雪も少ない気もしていますが、これからの2月が本番かもしれませんから、皆さんご用心を。
でも、用心するのは、雪の話だけではありません。江戸時代のある豪雪の年に、津軽で大地震が発生したことを皆さんはご存知でしょうか?
明和3年(1766)1月28日(現在の暦では3月8日)に発生した明和津軽地震は、江戸時代に津軽領内で最大の被害を出した地震でした。領内全体の被害は、全壊半壊家屋は合計約6000軒、焼失家屋は250軒余り、圧死者900人余り、焼死者約300人に至りました(「明和三年大地震につき万留覚」〈個人蔵〉)。
「要記秘鑑」(ようきひかん・弘前市立弘前図書館蔵)という史料によれば、青森の被害は次のようなものでした。まず、御仮屋(藩の出先機関・現在の青森県庁)が倒壊し、焼失しました。善知鳥神社向かいにあった町奉行所は半壊し、そのほかの役所も倒壊したり焼失したりしました。また、善知鳥神社をはじめとする寺社も倒壊・大破が目立ち、提橋は大破したと記されています。家屋被害はというと、倒壊家屋が約230軒、半壊が70軒、土蔵の倒壊が約55軒、貧しい人々が居住する借家は約180軒が倒壊、小見世の庇(ひさし)が92軒で崩れ落ちました。さらに、焼失家屋は108軒、土蔵は約40軒、借家焼失が25軒。圧死者は約100人、焼死者は約90人でした。青森町の推定震度は6程度といいますから、数値上は昭和43年(1968)の十勝沖地震よりも揺れたということになります。
しかも、明和3年はまれにみる豪雪の年で、年末(現在の暦では1月末頃)から降り続いた雪は屋根に降り積もり、その重みで家屋の倒壊率を上昇させました。また、発生時期が冬期間であったため、多くの家で暖房用に火器を使用しており、倒壊家屋に引火、火災が発生しました。
『青森市沿革史』上巻(青森市)には、津軽における「雪下ろし」の習慣は、明和津軽地震の被害を教訓に生まれたという説も述べられています。今では当たり前のように行われる雪下ろしにも、こんな歴史が隠されていたのですね。
明和津軽地震の推定震央及び推定震度分布
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