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更新日:2017年3月22日

【特別号】目で見る「あおもり歴史トリビア」No.特-1「青森市の鳥瞰図」(2013年8月16日掲載)

青森市の鳥瞰図(担当:工藤)

こんにちは!事務長の工藤大輔です。

「鳥瞰図(ちょうかんず)」というのをご存知でしょうか。

そもそも鳥瞰とは、飛ぶ鳥の目からみたように見えるという意味で、国語辞典で語意を調べると、「空中から地上を見おろしたように描いた図」とあります。

そして、この鳥瞰図を多く描いた人物に吉田初三郎(よしだ・はつさぶろう)という方がいます。彼は、生涯に3000点以上の鳥瞰図を描いたという大変著名な人物です。

ちょうど今、青森県立郷土館で、9月1日までの会期で「吉田初三郎鳥瞰図展大正・昭和に描かれたパンフレット」という企画展が開催されています。そして、この初三郎さん、青森市の鳥瞰図を2回描いています。最初は昭和7年(1932)で、2回目は昭和23年に描かれました。今回は、後者の鳥瞰図を紹介いたします。

昭和23年の『青森市鳥瞰図』(全体図)
昭和23年の『青森市鳥瞰図』(全体図)

〈左〉合浦公園付近(部分)、〈右〉西部地区(部分)
〈左〉合浦公園付近(部分)、〈右〉西部地区(部分)

〈左〉八甲田地区(部分)、〈右〉青森駅、連絡船桟橋周辺(部分)
〈左〉八甲田地区(部分)、〈右〉青森駅、連絡船桟橋周辺(部分)

この鳥瞰図の作成に至る経緯は、当時、市の統計課長であった渡邊惣助さんが「新しい鳥瞰図の作成の苦心を語る」と題して、青森市政調査会が発行した『青森市政』第11号に寄稿しています。これによれば、彼は鳥瞰図発行の担当者で、初三郎さんの長男朝太郎さん(父初三郎の門下生でもあったそうです)らとともに油川周辺や竜飛方面の調査に出掛けます。とくに、竜飛方面の調査旅行ではハプニングにも見舞われとても大変なものであったことが、その文章からわかります。そして、鳥瞰図の裏面「青森市の地勢と沿革」の執筆を徹夜で書き上げたということです。

〈左〉『新青森市史』資料編8現代の外箱カバー、〈右〉渡邊惣助「新しい鳥瞰図の作成の苦心を語る」(抜粋)
〈左〉『新青森市史』資料編8現代の外箱カバー、〈右〉渡邊惣助「新しい鳥瞰図の作成の苦心を語る」(抜粋)

鳥瞰図の作成は、この年が市制50周年であったことと、「港まつり」を新しい青森市の行事として始めるのにあわせて、「戦災の傷手からようやく立直って更に一歩前進しようとしている青森の現状を写した鳥瞰図が欲しい」という思いから企画されたようです。作業は6月17日から始まり、7月25日の納品ということでしたから、かなりの突貫工事です。

こうして完成した「青森市鳥瞰図」は、表紙の図も、初三郎さんに依頼しました。そして、市制50周年式典の記念品として、また、港まつりでの抽選会の賞品となり、好評を博したようで、その後販売されることになったとのことです。

そして、「港まつり」ですが、これは前年の「戦災復興港祭り」の規模を拡大して実施した、ねぶたを中心とした1週間にわたる催しで(『あおもりねぶた誌』2000年)、当時の首相芦田均(あしだ・ひとし)も期間中に青森市を訪れ、「東北六県の都市の内で青森市が最も活気にみちている。将来の発展が眼に見えるようだ」と語ったそうです(『青森市政』第13号)。なお、「港まつり」は昭和33年に名称を「青森ねぶた祭」と変えて、現在に至っています。

〈左〉『青森市鳥瞰図』表紙、〈右〉昭和20年代の青森港まつり(絵はがき)
〈左〉『青森市鳥瞰図』表紙、〈右〉昭和20年代の青森港まつり(絵はがき)

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問合せ

所属課室:青森市教育委員会事務局市民図書館 担当者名:歴史資料室

青森市新町一丁目3-7

電話番号:017-732-5271

ファックス番号:017-732-5272

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