ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > メールマガジン「あおもり歴史トリビア」 > 「あおもり歴史トリビア」第36号(2012年12月14日配信)
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更新日:2015年6月1日
こんにちは!事務長の工藤大輔です。
今回は、箱館戦争にまつわる面白いエピソードをひとつご紹介しましょう。
箱館戦争は、箱館の五稜郭を奪った旧幕府軍と、明治新政府軍との間で起きた戦争で、当時の青森町は北海道への渡航地として、この戦争のいわば前線基地となっていました。そして、青森町にとっての箱館戦争は、細かい説明は省きますが、明治元年(1868)10月25日から翌明治2年10月25日までの丸1年の期間に及びました。
さて、明治2年4月8日、箱館からイギリスの商船が青森湊にやってきました。戦火を逃れて青森町へやってきたのです。乗員は船員のほかに外国人が男女30人で、諏訪神社の神主さんのお宅に宿を取ったという記録が残っています。
そして、4月13日にこのイギリス船であるパーティーが開かれます。これには、青森町に滞在していた、弘前の殿様である承昭(つぐあきら)と黒石の殿様の承叙(つぐみち)のほか、新政府軍側のリーダーである総督清水谷公考(しみずだに・きんなる)が招待され、「異国ノ料理」でもてなされてきたようです。「異国ノ料理」とはどんな料理だったでのしょうか、とても気になるところですが、残念ながらメニューは残っていません。
明治2年4月13日のパーティーの記録(『青森市史』第七巻より)
また、この船からは大砲が、もちろん空砲ではありますが20発ほど祝砲として放たれ、これに応えて上浜町から安方町にかけての海岸でも大砲がこれまた空砲で5、6発放たれました。こうした砲声は、青森市中にも響いたそうです。戦争中のことですから、町の人々はきっと大いに驚いたことでしょう。
ところで、このパーティーの目的は何だったか想像できますか?
ヒントは、当時の日本の暦、太陰暦で明治2年4月13日は、太陽暦の1869年5月24日です。さて、どうでしょうか…?
答えは、当時のイギリス国王であるヴィクトリア女王の誕生会です。彼女は、イギリスの繁栄を築いた女王として知られていますよね。そう、何年か前にエミリー・ブラントが主演で『ヴィクトリア女王 世紀の愛』なんていう映画も作られています。ともかく、青森の海上で、イギリス国王の誕生会が催されていたのですよ。
箱館戦争の最中ではありますが、当時の青森町には、蒸気船がやってきたり、このようにして外国人がやってきたりすることで、これまで知らなかった文化と触れる機会がありました。そして、青森町の人々はもちろん、遠くは現在の平川市の方からも「珍し物見たさ」で青森町までやってきたという記録が残っています。
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