ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > メールマガジン「あおもり歴史トリビア」 > 「あおもり歴史トリビア」第38号(2012年12月28日配信)
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更新日:2015年6月1日
師走も残りわずか、あっという間に今年も大詰めとなりました。皆さま、お正月はどのように過ごすか、もうお決めになっていますか?家族や親戚と楽しく過ごしたり、旅行に行ったり、いろいろな過ごしかたがあるかと思います。
それでは、藩政時代の青森の人々はどのようなお正月を過ごしていたのでしょうか。
『新青森市史』資料編近世(3)収録の「由緒伝」は、青森浜町(現在の本町)の豪商・滝屋伊東家の嘉永5年(1852)の1年間の行事記録を図入りで記したものを、慶応3年(1867)に一族の彦太郎が書写したものです。この資料と、彦太郎が書き記した日記(『青森市史』第7巻所収)の双方を用いて、藩政時代の青森町人の年末年始の暮らしを追ってみましょう。
「由緒伝」の12月の記述を見ると、滝屋は1日に岩木様、11日は「船玉様」(ふなだまさま…航海安全祈願・大漁祈願の対象)にお供えものをしています。
御備餅(「由緒伝」よりトレース図)
これは、『新青森市史』別編3民俗によると、正月前に神様を年越しさせるため、12月の間、日にちごとに決まった神様を祀る儀式であるようです。これらと平行して、11日・20日は「すゝ箒」(大豆カラなどを結って作った箒)で1年間の埃を掃除、22日は正月用の餅をついてお供え、23日になると各方面へお歳暮を贈る……など、連日行事が目白押し!藩政時代の年末は大忙しだったようですね。
さて、お正月を迎え、元日早朝に滝屋がまず行っているのは「若水取り」と呼ばれる行事です。これは家の主や長男が、早朝、誰にも見つからずに川まで行き水を汲むというもの。「新しい水を汲むことで邪気を払い、生気を蓄える」意味があり、この水は正月中の様々な用途に使用されます(『新青森市史』別編3民俗)。その後、前日に塩を撒き清めておいた囲炉裏(いろり)で豆がらを焚き、その火で灯明を点し、雑煮や御神酒をお供えしています。
また、彦太郎の日記では、滝屋が毎年元日に裃(かみしも)を着て、家中手分けしてお得意先やお役所などに挨拶回りをする様子が描かれています。さすがに滝屋のお得意先となると相当な数のようで、数日がかりになることも…。
2日になると前述のお供えものに加え、新たに一升枡の中に米と黒豆、それにみかんを入れた料理を船玉様へお供えすることで、取引船の航海安全を祈願します(『新青森市史』通史編第2巻近世)。この日は客人に御神酒などを振る舞い、楽しいお正月を過ごしたようです。
船玉様へのお供え物
(「由緒伝」よりトレース図)
彦太郎の日記(家内年表)
慶応4年正月元日条
これ以降も正月行事は続きますが、それについては次週、年が明けてからにしたいと思います。それでは皆さま、今年は大変お世話になりました。よいお年を!
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