ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > メールマガジン「あおもり歴史トリビア」 > 「あおもり歴史トリビア」第39号(2013年1月4日配信)
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更新日:2015年6月1日
皆さま、明けましておめでとうございます。昨年は大変お世話になりました。どうぞ今年も市史編さん室をよろしくお願いいたします。
昨日で三が日も終わりましたが、皆さまは充実したお正月を送ることができていますでしょうか。三が日が終了しても滝屋では、お正月行事はまだまだ続きます。先週に引き続き、「由緒伝」から藩政時代の青森町人のお正月を追っていきましょう。
お正月も4日目に突入し、これまでどおり御神酒と灯明のお供えをします。この日は元日に汲んだ若水を使い切ってしまったため、5日の早朝は再び若水取りから始まります。その後、仏壇などに飾っていた菱形の餅を下げて、取り混ぜて焼いたものをお供えします。また、この日になると門松やしめ縄などをしまっています。
6日からはお供えを御神酒のみにし、7日には七草粥を食べ、11日は「船玉(ふなだま)祝い」の日として御神酒・灯明に鏡餅、そして一升枡の中に米、黒豆、蜜柑をのせた料理を船玉様へお供えします。こうしたお供えものの図については、『新青森市史』資料編近世(3)596~597ページに載っておりますので、興味のあるかたは是非ご覧ください。
船玉様へのお供え物(「由緒伝」よりトレース図)
この船玉祝いの日には、毎年滝屋にたくさんの来客があったようで、彦太郎の日記(『青森市史』第7巻所収)安政4年(1857)正月11日には、約70人もの人が集まり大いに盛り上がった、とあります。
11日、客人にふるまわれた御備餅(「由緒伝」よりトレース図)
こうして元日からの行事を見ていくと、「由緒伝」では1年の中でも特に正月行事の記述が詳しく、滝屋にとってもお正月が一大イベントだったことがわかります。
余談ですが、『青森市史』第9巻には、滝屋が天保6年(1836)に大坂や江戸などの各商人へ送った年賀状の発送先名簿が載っています。彦太郎の日記から滝屋の年賀状のやりとりを見てみると、安政5年(1858)正月18日に弘前の豪商・金木屋亀吉からの「年頭状」、また、安政7年(1860)正月17日には平内の竹内与右衛門からの「年始礼状」が届いた、とあります。これらは新年の挨拶を述べた上で添え状にて商談を、という性格の書状であったようですが、やはり昔から新年の挨拶というのは大変大事なものだったようですね。おろそかにしないよう、気をつけたいものです。
それではまた。
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