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更新日:2015年6月1日

「あおもり歴史トリビア」第42号(2013年1月25日配信)

八甲田雪中行軍遭難事件、遭難兵士地蔵尊前の狛犬の謎 その2(担当:葛西)

こんにちは。今日は前回の続きです。

前回は、幸畑陸軍墓地の近くに八甲田山雪中行軍遭難兵士たちの木彫が祀られている地蔵尊(現在「英霊堂」という表示板があります。)があり、地蔵尊の前には、1対の狛犬が置かれていますが、この狛犬は、雪中行軍遭難者探索に活躍したアイヌ犬と思われる犬に由来しているのではないか?という質問があったことについてお話ししました。

今回は、その謎に迫ります。


木彫が祀られている遭難凍死者地蔵尊(英霊堂)と狛犬

質問を補足しますと、捜索に活躍した、アイヌ犬と思われる犬の1匹が捜索中に子犬を産み、2匹に「ハッコウ」と「ベンケイ」という名前を付けたと聞くが、その子犬が、遭難者の捜索にちなんで地蔵尊の狛犬になったのではないか?また、この狛犬は、いつどのように設置されたかを知りたいというものでした。果たして本当にアイヌ犬が活躍したのか、狛犬はアイヌ犬なのか、『青森市史』別冊歩兵第5聨隊八甲田山雪中行軍遭難60周年誌(昭和38年青森市発行)を参考に追ってみたいと思います。


狛犬


狛犬

明治35年(1902)1月23日、歩兵第5連隊山口大隊が雪中行軍に出発しました。26日になっても消息はなく、第5連隊では捜索隊を出しましたが、吹雪と積雪の悪天候に災いされ、捜索をあきらめて引き返しました。

27日に再び捜索隊が出発し、雪中行軍兵士が遭難したことを確認しました。田茂木野に捜索本部を置き、翌日28日から捜索を始めましたが難航し、5月28日までの4か月間、7回に分けて捜索を実施しました。

さて、「捜索に活躍した犬」については、青森市から捜索方法に猟犬を用いてはどうかとの提案があり、1月30日に青森市合浦公園の創立にかかわった柿崎巳十郎氏が所有のバナード種の猟犬2匹を伴って、8体の遺体を捜し出したという記録があります。

また、2月7日に東京の篤志家から提供されたセントバーナード種1匹も参加しましたが、成果がなかったようです。

2月9日頃、北海道アイヌの人々は勇敢で寒気積雪に耐えるといわれているので、捜索に功を奏するのではないかとの要請を受けた弁開凧次郎(べんかい たこじろう)以下7名が各猟犬1匹を携え来青し、2月11日から捜索に従事しました。彼らは最も危険視された駒込川渓谷の捜索に4月19日まで67日間奔走し、11遺体と遺棄した武器・装具等多数の発見をしました。『青森市史』には、「アイヌ捜索隊7名と猟犬数匹」の写真が掲載されています。


アイヌ捜索隊7名と猟犬数匹
(『青森市史』別冊 歩兵第5聨隊八甲田山雪中行軍遭難60周年誌より)

このことから、「捜索にあたってアイヌ犬が活躍したのか」との質問については、捜索に活躍した犬はアイヌ犬であった可能性は十分あると思われます。

また、「地蔵尊と狛犬」の写真も掲載されていましたが、その写真についての詳細な経緯を書いたものは『青森市史』に見当たらず、前回のメールマガジンで参考としてご紹介した『青森県史研究』第7号(平成14年青森県発行)等、いくつかの文献を調べてみましたが、捜索に活躍したアイヌ犬や地蔵尊の狛犬の詳しい記述はなく、残念ながら、謎解きはできませんでした。


地蔵尊と狛犬
(『青森市史』別冊 歩兵第5聨隊八甲田山雪中行軍遭難60周年誌より)

いずれにしても、捜索にあたった犬は、お腹に赤ちゃんがいるにも関わらず捜索に駆け回ったことを思うと、なんと勇敢で忠誠心の強いことでしょう。もし、その子犬が地蔵尊の狛犬になっているとしたら…その忠誠心を受け継いで199名の遭難した兵士を護っているということかもしれません。

雪がとけたら、八甲田山雪中行軍遭難資料館や地蔵尊の狛犬を実際に見たいと思います。

今回、狛犬設置の経緯について解明できませんでしたが、詳細をご存知のかたは、是非、情報を市史編さん室にお寄せください。

問合せ

所属課室:青森市教育委員会事務局市民図書館 担当者名:歴史資料室

青森市新町一丁目3-7

電話番号:017-732-5271

ファックス番号:017-732-5272

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