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ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > メールマガジン「あおもり歴史トリビア」 > 「あおもり歴史トリビア」第45号(2013年2月15日配信)

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更新日:2015年6月1日

「あおもり歴史トリビア」第45号(2013年2月15日配信)

知られざる西部の歴史(担当:村上)

こんにちは。臨時職員の村上です。

私は1月19日、中央市民センター石江分館で開催された歴史講演「知られざる西部の歴史」に参加しました。今回は講演で聴いた石江地区、そして青森市西部(青森駅より西側の地域)の歴史についてご紹介します。


中央市民センター石江分館

講師を務めたのは中世・近世史に詳しい市史編さん室の工藤事務長と、近・現代史に詳しい県史編さんグループの中園裕氏でした。お二人はこれまでも様々な歴史講座の講師を務めてきましたが、コラボレーションをするのは初めてということで、とても楽しみにしていました。

前半は工藤事務長が「江戸時代の絵図を読む」と題して講演を行いました。


「川添田畑絵図」について説明する工藤事務長

江戸時代の石江地区は石神村という村で、主に稲作・畑作が行われていたそうです。市史編さん室にはなんと、石神村の枝村(えだむら:後に開発された部分)である相野村の田畑(現在の富田地区)を描いた絵図がありました。それは文久元年(1861)に作成された「石神村川添田畑(かわぞえでんぱた)絵図」と「沖館村川添田畑絵図」で、沖館川沿いの田畑のようすが描かれています。

旧青森町周辺の村の絵図が残っていることは少なく、今回の講演を行うにあたって市史編さん室のデータベースを調べたところ見つかったものでした。この絵図は今回が初出ということで、工藤事務長は「初めてお見せするのが地域の皆さんの前で良かった」と話していました。

工藤事務長が絵図に描かれた「滝村ノ宮」(現在の川上神社を指すと思われる)を手がかりに道や水路を現在の地図で探した結果、青森町へ向かう街道が残っているほか、新城川から水を引いていた用水堰のうち、いくつかは道路として残っている可能性があることがわかったそうです。お話を聴いて、藩政時代の村の姿を想像しながら歩いてみたいと思いました。

後半は中園氏が「県都西部の変遷を知る!」というテーマで、たくさんの写真を紹介しながら講演を行いました。


青森飛行場の写真を紹介する中園氏

西部地区には以前メールマガジンでも紹介した青森営林局や油川にあった青森飛行場など重要な施設がありました。また、会場となった石江地区には明治天皇行幸の行在所(あんざいしょ)と石碑、そして大正四年に行われた陸軍大演習の記念碑があります。この演習の際には大正天皇が石江村を訪れました。

このように青森市の西部地区は様々な歴史遺産のある地域ですが、地区の発展を考えると、青森のまちが青森駅によって東西に分断されていることが障がいの一つになっていたといいます。中心市街地へ行くためには古川跨線橋を渡らなければならないため、かつては渋滞が頻発していました。跨線橋の拡張や西バイパス、ベイブリッジの建設によって西部地区の交通事情は良くなり、現在はフェリーや高速道路などを活用した流通の拠点となっています。

興味深かったのは新城地区にあったというスキー場の絵葉書です。スキーをする人たちは現在よりもずっと薄着で、スカート姿で滑っている女の子もいました。新城中学校へ続く坂道がスキー場の名残で、中園氏は「坂道にも歴史がある」と話していました。

藩政時代からあった道、スキー場だった坂道と、普段何気なく通っている道にも深い歴史があるのですね。自分の住んでいる地区の歴史についても調べてみたいと思いました。


会場のようす

問合せ

所属課室:青森市教育委員会事務局市民図書館 担当者名:歴史資料室

青森市新町一丁目3-7

電話番号:017-732-5271

ファックス番号:017-732-5272

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