グローバルメニュー サブメニュー
  • 文字サイズ変更・色合い変更
  • Foreign Language

ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > メールマガジン「あおもり歴史トリビア」 > 「あおもり歴史トリビア」第46号(2013年2月22日配信)

ここから本文です。

更新日:2015年6月1日

「あおもり歴史トリビア」第46号(2013年2月22日配信)

浅虫温泉と浅虫水族館(担当:鈴木)

まだまだ寒い日が続いていますね。こんな時はやはり温泉が一番。青森には日帰りを含め、たくさんの温泉がありますが、今回は浅虫温泉と浅虫水族館についてお話したいと思います。

浅虫温泉は平安時代に発見されたとされる古い温泉地で、藩政時代には「御本陣」(現柳の湯)が設けられていました。


柳の湯(『新青森市史』通史編第2巻より)

旅館として最も古い椿館は貞享4年(1687)以前の創業です。ここには明治9年(1876)、明治天皇が東北北海道巡幸の際に休息されました。この巡幸以前、浅虫から青森へ向う街道は、現在の善知鳥トンネル海側の、善知鳥崎という波の洗う磯に板を渡した難所を通るか、山中を通るかしかありませんでしたが、前年の明治8年に開削工事が竣工し、久栗坂に至る道路が整備されました。

明治35年(1902)の八甲田雪中行軍遭難後には、生存者が青森衛戍(えいじゅ)病院退院後に浅虫で温泉治療をした結果が良好だったため、その効能が世に知られたともいわれています。やがて大正初期、第一次大戦の好況期には駅前に旅館などが増え、芸者さんも出入りする賑やかな温泉街となりました。

大正13年(1924)に、裸島付近に「東北帝国大学浅虫臨海実験所」(現東北大学大学院生命科学研究科附属浅虫海洋生物研究センター)が設置され、その附属水族館は、昭和58年に県営浅虫水族館がオープンするまでの60年間、長く市民に親しまれました。


水族館と裸島(市史編さん室所蔵の絵はがきより)

昭和2年の『東奥日報』の記事を見ますと、冬場は休館していたようで、春5月上旬にオープンし、同月の浅虫観桜会、湯の島の島開きの際は夜間も開館し、電飾に照らし出される魚類を楽しんだようです。今も浅虫水族館では「夜の水族館」の企画が行われていますが、85年以上も前にあったとは進んでいますね。この時には街中が電灯で飾られ、「夜の浅虫は不夜城の壮観」との見出しがあります。

そのほか、花火の打ち上げや芸者さん達が「魚族」に扮した仮装行列もあり、ずいぶんと賑やかだったようです。また当時、付近に動物園を創設し、青森に生息する水陸両方の生物を網羅してはという案もあったようです。水族館には淡塩両水の珍しい生物がいましたが、「珍中の珍」として「食用金魚(蔦沼産)」が挙げられています。いったいどんな金魚だったのでしょう?

昭和37年10月1日、旧野内村の青森市合併で浅虫地区は青森市となり、その後、道路や海岸も整備され観光地として発展してきました。旧水族館のあった浅虫臨海実験所に至る通りには、「明治天皇御休御跡」や名勝「裸島」などもありますので、往時を想像しながら散策してみるのもいいかもしれません。

また、平成20年には柳の湯近くの源泉地に、「源泉公園混浴足湯」と「温泉たまご場」ができ、休日のちょっとしたレジャーにお勧めです。寒さが緩んだら、卵を持って行かれてみてはいかがでしょうか。なお、浅虫について、『新青森市史』通史編2の「温泉と村落-浅虫村-」でも触れておりますので、ぜひご覧いただければと思います。


浅虫源泉地の「源泉公園混浴足湯」と「温泉たまご場」
(『新青森市史』通史編第2巻より)

問合せ

所属課室:青森市教育委員会事務局市民図書館 担当者名:歴史資料室

青森市新町一丁目3-7

電話番号:017-732-5271

ファックス番号:017-732-5272

より良いウェブサイトにするために皆さんのご意見をお聞かせください。

このページの内容は分かりやすかったですか?

このページの情報は役に立ちましたか?

このページの情報は見つけやすかったですか?