ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > メールマガジン「あおもり歴史トリビア」 > 「あおもり歴史トリビア」第47号(2013年3月1日配信)
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更新日:2015年6月1日
こんにちは!事務長の工藤大輔です。
今回は、私が青森にやってきてから知った食材である「焼き干し」に関するエピソードをご紹介いたしましよう。
焼き干し(脇野沢産)
「焼き干し」といえば、平舘であるとか脇野沢といった陸奥湾沿岸が産地として知られていますが、ではいつ頃から生産されるようになったでしょうか?
試みにインターネットで検索してみつけた情報によれば、脇野沢では大正期に生産が始まったと出ていました。私の感覚では、「案外と新しいものなんだ」といったところです。
さて、先日、編さん室にある、大正8年(1919)の油川村の町制施行に関する史料を読んでいたら、「焼き干し」に関する面白い記述を発見しました。
この年の3月24日付で油川村長が県知事にあてて油川村の町制施行を要請する文書のなかに、村の産業に関して記した部分があって、そこに「焼き干し」が出てくるのです。
油川港桟橋(『青森市史』第2巻より)
その文書によれば、油川村では秋の背黒イワシ漁で、カツオ節の代用となる焼き干しを作り、秋田・山形・新潟に移出しているとあります。しかも、この焼き干しは数年前に油川村が初めて製造したもので、村の特産物となったそうです。そして、これが陸奥湾沿岸各地に広がって、あろうことか「油川産」の名称で密かに移出されていたというのです。
油川ブランドの焼き干し…なかなか面白いですね。
大正時代の油川町
(市史編さん室蔵「大日本職業別明細図之内青森県」より)
この記述は公的な文書なので基本的なところで誤りはないと思いますが、「初めて」という部分では異論があるかもしれません。ただ、少なくとも陸奥湾沿岸地域で「焼き干し」生産が始まったのは、「大正の初め頃」だったとみていいでしょう。
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