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更新日:2015年6月1日

「あおもり歴史トリビア」第48号(2013年3月8日配信)

ジュセップ=ファブリーの缶詰工場(担当:橋本)

こんにちは!先週に引き続き油川に関する「食」のお話をしたいと思います。

みなさん、国道280号(松前街道)を沖館から油川に入って間もなく、右手に赤レンガの洋館を目にしたことはないでしょうか?

この建物はジュセップ=ファブリーというイタリア人のかたが建てたもので、「イタリア館」と呼ばれています。

ファブリーは1866年イタリアのローマに生まれ、大正4年(1915)に来日し、外国の映画を日本に売る神戸の会社に勤めていました。その時、イワシの豊富な日本でイワシを加工して本国に販売することを思いつき、東京で水産試験場に問い合わせたところ、陸奥湾のイワシが良質で最も適している事が判明しました。

そこで、青森市の近くに大規模な缶詰工場を建設することにし、大正5年(1916)の春、青森県庁で川村竹治知事と西田林八郎油川村長に缶詰工場を建てるのによい場所はないかと相談しました。西田村長は、油川に水産加工場ができれば、村の人達が働く場所も増え、村全体の景気が良くなると考えました。村の有力者も工場の建設に賛成し、誘致に協力してくれることになりました。

こうして、その年の12月にファブリーは油川にフランコ・イタリアン会社を創設し、缶詰製造にとりかかりました。

約1ヘクタールの敷地に赤レンガ2階建ての洋館と木造の工場が完成したのは大正7年(1918)3月のことでした。ファブリーが主に製造したのはイワシの油漬缶詰で、ほかにマグロの油漬缶詰やグリンピース、トマトの缶詰も製造し、工場では地元油川や近くの村から来た約60人が働いていました。


ファブリーの缶詰工場(『目で見る青森の歴史』より)

先日、市史編さん室にある史料でこんな記述を発見しました!

大正8年(1919)の油川村の町制施行に関する史料の中に、この会社が製造する缶詰を外国に輸出していたという記述があったのです。ファブリーは思わくどおり本国イタリアへの輸出を果たしていたのかもしれませんね。また、秋田市や盛岡市にも出荷していたそうです。

ファブリーは工場が出来てから4か月後の7月4日、がんで亡くなってしまいます。その後、工場はいろいろな人の手に渡り、昭和50年(1975)頃に木造の工場は取り壊されてしまいましたが、工場事務所兼住宅として使われていた「イタリア館」が今も残っているのです(現在は個人の私有地となっているので残念ながら中に入る事は出来ません)。


現在のイタリア館

ファブリーのお墓は現在、油川の明誓寺にあります。台座の上には直径1メートルぐらいの半球の形をしたものが据えられ、その上には十字架が立っています。実はこの半球の形ですが、缶詰工場の蒸し釜を型どったものなのです!お墓には、知らぬ間によくお花が供えられているそうです。


明誓寺にあるファブリーの墓

ファブリーが油川で缶詰製造業としての業績はわずか一年半ほどでしたが、当時の地方業界に大きな刺激を与え、また缶詰製造業の発展に寄与した功績は大きく評価されています。

なお、ファブリーは寺内野(てらうちの:現油川中学校付近)に広い土地を買って牧場で家畜を飼い、畑ではトマトやジャガイモなどを栽培し、自分達の食料にしていました。実はこのトマトですが、青森県内で初めて栽培されたのではないかとも言われています!

※今回の内容は木村愼一氏の著書『油川町の歴史』(平成5年発行)、西田源蔵の著書『油川町誌』(昭和3年発行)などを参考にしています。

 

問合せ

所属課室:青森市教育委員会事務局市民図書館 担当者名:歴史資料室

青森市新町一丁目3-7

電話番号:017-732-5271

ファックス番号:017-732-5272

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