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更新日:2015年6月1日

「あおもり歴史トリビア」第55号(2013年4月26日配信)

浪岡の桜の名所(担当:三上)

例年より早い桜の便りと思いきや、青森では花冷えの日々が続き、桜前線はまだ足踏みをしているようです。しかし連休に合わせて見事な満開の桜を見せてくれることでしょう。

さて今回は浪岡城跡を核とした「中世の里」浪岡の桜の見所をご紹介したいと思います。

近世津軽(浪岡)と陸奥湾を結ぶ主要街道の一つ「大豆坂(まめさか)通り」沿いに浪岡城跡がありますが、ここは約300本のソメイヨシノが迎えてくれる桜の名所のひとつです。


浪岡城跡


浪岡城跡の桜

では、ここで浪岡城の歴史の一端を『新青森市史 通史編 第一巻』などを参考にしながらたどってみましょう。室町時代、浪岡城主浪岡北畠氏は安藤氏と南部氏の間に半ば緩衝勢力として配置されたともいわれています。浪岡北畠氏に関する数少ない文献資料の中で信憑性の高い資料として注目されるのが、山科言継(やましな ときつぐ)(1507~1579)という公家が著した『言継卿記(ときつぐきょうき)』だそうです。この『言継卿記』には浪岡北畠氏に関する記事があります。


北畠古城跡碑

『言継卿記』によれば、浪岡北畠氏は京都の言継のもとに使者を派遣し、朝廷から位を受ける許可を得ようと、さまざまな根回しをしていたようです。例えば、昆布10巻、煎海鼠(いりこ、干しナマコ)、黄金3分、鈴一対などが贈られたとあります。記録されたもの以外にも実際にはもっとあったものと思われます。

一方、言継の方でも、例えば天文21年(1552)4月2日条には浪岡北畠氏に書状と一緒に茶壷一個を御礼に添えてやったとあります。浪岡城跡の向かいにある「中世の館」には浪岡城発掘によって発見された碗や皿・すり鉢などの食器や調理器具をはじめ、鎧の部品や刀などの武具類、鋤や鍬・鎌などの農具、下駄や桶・漆器・箸など木製の日用品などが展示されていますが、その展示物の中に呂宋(ルソン)壷もあり、それにはお茶の葉が入れられてあったそうです。もちろん『言継卿記』に記述されていた茶壷が展示されている壷そのものではないでしょうが、その記述に何となく親近感がわいてしまいますね。

さらに同条には、昆布や煎海鼠をたびたび送ってきている浪岡北畠氏の使いの者、彦左衛門に保童円(ほどうえん)三包と五霊膏(ごれいこう)三貝を遣したともあります。保童円の「円」は練り薬のことですから旅の疲れを癒すために服用するように、また五霊膏の「膏」は膏薬のことですから、疲労した脚にでも塗るように遣わしたのかもしれません。言継の旅人をいたわる心遣いがうかがわれ、身近な人のように感じてしまいます。そういうことを思い浮かべながら満開の桜をながめると、さらに味わい深くなると思います。

浪岡城跡のほかにも桜の見所として湿性花園(しっせいかえん)があります。場所は道の駅『なみおか』の西側にあり、周りはりんご畑に囲まれています。特に200メートルに及ぶ桜の花のトンネルは必見の価値があります。ここにはほかにもハナノキという北国には珍しい木やキショウブなど湿性の植物も豊富ですので、一度は行ってみたい穴場です。


湿生花園の桜並木


湿生植物が豊富な湿生花園の池

また花岡公園では、桜の下でさまざまなイベントが開催されます。桜見物での疲れを花岡温泉で癒すのも一興かもしれませんね。どうぞ、皆さん浪岡の桜見物に出かけて、「中世のとき」を感じてみてください。


花岡公園

※今回の内容は『新青森市史 通史編 第一巻(原始・古代・中世)』『新青森市史 資料編2 古代・中世』『浪岡町史 第一巻』『浪岡町史 第二巻』を参考にしています。

問合せ

所属課室:青森市教育委員会事務局市民図書館 担当者名:歴史資料室

青森市新町一丁目3-7

電話番号:017-732-5271

ファックス番号:017-732-5272

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