グローバルメニュー サブメニュー
  • 文字サイズ変更・色合い変更
  • Foreign Language

ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > メールマガジン「あおもり歴史トリビア」 > 「あおもり歴史トリビア」第58号(2013年5月24日配信)

ここから本文です。

更新日:2015年6月1日

「あおもり歴史トリビア」第58号(2013年5月24日配信)

市民のための公共集会施設・青森市公会堂(担当:竹森)

こんにちは、嘱託員の竹森です。今回は、青森市民のための最初の公共集会施設、青森市公会堂についてのお話をしたいと思います。

公会堂は新浜町(現在の本町4丁目)の海岸を埋め立てし、現在の青森市福祉増進センター(しあわせプラザ)の位置に、明治34年(1901)10月30日に皇太子(のちの大正天皇)御成婚を記念して建築されました。


明治34年に建てられた青森市公会堂
(『目で見る青森の歴史』より)


海上から見た公会堂
(『目で見る青森の歴史』より)

『青森市議会史』明治編によると、利用者は使用料を添え目的を申請することで、今の公民館のように利用することができました。それまでは市の公共の集会施設が無かったため、会合などを料亭や劇場で行っていた当時の青森市民にとって画期的な施設だったことでしょう。

公会堂は大正後期になると老朽化が進み、建物の狭さもあって増改築が望まれていました。そこで大正13年(1924)、皇太子(のちの昭和天皇)の御成婚記念事業として新しい公会堂の建設が企画され、大正14年10月31日、鉄筋コンクリート造り3階建て、そして、青森営林局から特売払い下げを受けた特産のヒバ材を使用した、立派な公会堂が同じ場所に建てられました。同日の落成式では、「外観の壮麗、内部の美、当に建築界の粋を集めたるもの」と祝辞が述べられ、遠藤柳作知事も、海を背景に堂々とたたずむ公会堂の天然の景勝を褒めたたえています(『東奥日報』大正14年11月1日付)。


大正14年に建てられた青森市公会堂
(『目で見る青森の歴史』より)

ここでは実に多様な催しが行われ、国際卓球大会や、昭和6年(1931)から毎年開催された東奥美術展などの会場となりました(『文化活動の歩み90年』)。昭和2年5月には現代日本文学全集講演会が開かれ、芥川龍之介や秋田雨雀などが公演を行っており、しあわせプラザ前の解説板には、「当時、官立弘高生であった太宰治が、私淑していた芥川龍之介などの公演を聞くために弘前から駆けつけたという」とあります。


しあわせプラザ前にある青森市公会堂の解説板

また、昭和12年4月にはヘレン・ケラーが来青、公会堂で公演が開かれており、青森市民に強い感動を与えたといいます。このように、公会堂は美術をはじめとした文化活動全般、スポーツなどの殿堂として長く市民に親しまれていたようです。

公会堂は昭和20年7月28日の青森大空襲において焼失を免れたため、市役所の仮庁舎となりましたが、9月25日に上陸した進駐軍に接収され、以後、昭和27年7月の返還まで、進駐軍の司令本部が置かれました。

進駐軍から返還され、市民のための公共施設としての役割を取り戻した公会堂は、のちに改装され、昭和45年9月27日、弓道場や剣道場などの設備を備えた青森市スポーツ会館としてオープン、武道愛好者などの練習場として親しまれました。

スポーツ会館は平成8年(1996)の臨港道路拡幅工事により取り壊されてしまいますが、平成9年3月、同地に建てられたしあわせプラザの建物前面には往時を模したデザインがなされ、現在でも公会堂の景観を偲ぶことができます。


しあわせプラザ

問合せ

所属課室:青森市教育委員会事務局市民図書館 担当者名:歴史資料室

青森市新町一丁目3-7

電話番号:017-732-5271

ファックス番号:017-732-5272

より良いウェブサイトにするために皆さんのご意見をお聞かせください。

このページの内容は分かりやすかったですか?

このページの情報は役に立ちましたか?

このページの情報は見つけやすかったですか?