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更新日:2015年6月1日

「あおもり歴史トリビア」第68号(2013年8月2日配信)

祝80歳エベレスト登頂!三浦雄一郎さん(担当:渡邊)

世界最高齢80歳で3度目のエベレスト登頂に成功した、青森市名誉市民の三浦雄一郎さんの「青森市名誉市民特別功労賞表彰式・エベレスト登頂報告会」が、7月27日、ふるさと青森市で行われました。

三浦雄一郎さんは、昭和7年(1932)に青森市で生まれ、父の転勤に伴って、県内外へ度々転校していますが、橋本小学校や旧制青森中学(後に青森高校)に通学し、青森の風土の中で少年時代を謳歌しています。報告会で、三浦さんは、雪と自然に囲まれた青森での生活や体験、特に八甲田の大自然について触れ、それらが自身の精神や人間としての基本をつくってくれたと、偉業の原点について語ってくれました。


表彰式であいさつする三浦雄一郎さん

『青森高校百年史』には「在学時の思い出」と題して三浦雄一郎さんが寄稿しており、その中で、三浦さんは、青森を「ワンダーランド」と表現しています。「八甲田山と岩木山がぼくの心に大きな灯をともし、何か自然があたえてくれた、言葉では言い表せないような凄いものの芽を育んでくれたのだと思う。」「青森中学でのこの二つの山、そして津軽の海の遊びと冒険が、いつのまにか世界の扉を開く鍵になっていた。」とも。

その後、弘前高校、北海道大学での学生生活、さらには北海道大学での教官助手の仕事を経て、スキーで生きることを決意し、世界に挑戦し始めた三浦さんは、昭和39年にはイタリアで行われた世界スピードスキー大会に出場し、時速172.084キロの世界新記録を樹立。昭和45年にエベレスト・サウスコル8000メートル世界最高地点滑降を成功させ、昭和60年、53歳までに世界七大陸最高峰からのスキー滑降を果たしました。

それ以降は新たな挑戦を行わず、不健康な状態になっていた雄一郎さんでしたが、一念発起して、70歳、75歳、80歳と、不屈の精神とたゆまぬ努力で3度のエベレスト登頂を果たしました。そこには、父、敬三さんの大きな背中がありました。


三浦雄一郎さんのスキー

三浦敬三さんは、日本の山岳スキーの草分け的存在で、101歳で亡くなるまで挑戦を忘れず、夢に向かって努力を続け、夢を叶えてきた人でした。77歳(喜寿)でキリマンジャロを滑降し、世界最高齢記録樹立、88歳(米寿)でスイスアルプス氷河地帯オートルート(約100キロ)を完全踏破、99歳(白寿)を迎えた平成15年には、モンブラン・ヴァレーブランシュ氷河において、息子の雄一郎さん、孫の雄大さんと親子三世代での滑降を成し遂げました。この時、70歳でエベレストに登頂した雄一郎さんとともに青森市民栄誉賞、内閣総理大臣表彰を受賞しています。

今回の報告会で、三浦雄一郎さんは、そんな父の敬三さんの背中を追い、これからも挑戦を続けていくと話していました。


市長と会談する三浦雄一郎さん、長女の恵美里さん、次男の豪太さん

ここで、トリビアをひとつ。「世界のムナカタ」「世界のミウラ」となり、ともに青森市の名誉市民となった、棟方志功さんと三浦雄一郎さんには実は親戚関係がありました。雄一郎さんの従兄弟と棟方志功さんの娘さんが結婚したのです。その三浦雄一郎さん、棟方志功さん、お二人には共通項があります。八甲田と酸ヶ湯温泉を愛し、心のふるさとと思う気持ちです。このお二人の縁については登頂報告会でも紹介されましたが、世界を目指し、世界での活躍を果たした二人の原点となった、厳しくも雄大な青森の自然や風土を、私たちは大切にしていかなければならないと、思いを新たにした一日でした。


母校・橋本小学校の子どもたちから花束を受けとり記念撮影

問合せ

所属課室:青森市教育委員会事務局市民図書館 担当者名:歴史資料室

青森市新町一丁目3-7

電話番号:017-732-5271

ファックス番号:017-732-5272

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