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更新日:2015年6月1日

「あおもり歴史トリビア」第69号(2013年8月9日配信)

浪岡北畠まつりと北畠氏の歴史(担当:葛西)

こんにちは。真夏の夜空を焦がす勇壮華麗なねぶた祭が終わったものの、暑さがまだまだ続きそうなこの頃ですが、そろそろお盆の準備を始めたかたもいらっしゃるのではないでしょうか。

8月14日(水曜日)~17日(土曜日)の4日間、浪岡では、「浪岡北畠まつり」が開催されます。このおまつりは、南北朝時代(14世紀頃)の武将・北畠顕家(あきいえ)の子孫が浪岡城を築いたとされることにちなんだものです。そこで少しだけ浪岡の歴史について、ふれてみたいと思います。


浪岡北畠まつりに登場した北畠顕家像

浪岡北畠氏は、北畠顕家の子孫と伝えられ、南北朝の動乱を経て15世紀中頃には南部氏の庇護のもとに浪岡城を築城していたといいます。そして、16世紀半ばすぎには、浪岡周辺・北津軽郡・外浜の北半分を領有していました。浪岡北畠氏がこの地で一定の勢力を保持したのは、室町幕府の仲介で、長く争っていた檜山(現・秋田県能代市)に移った下国安藤氏と南部氏との講和がなり、その時に両者の緩衝勢力として、幕府が北津軽と外浜の一部の支配を北畠氏にゆだねたからだともいわれています。しかし、川原御所事件という親族間での争いの後、天正6年(1578)に大浦(津軽)為信に攻められ落城しました。


国史跡 浪岡城跡

以後、城跡は、昭和15年(1940)2月10日に青森県で初めて国史跡指定されました。昭和40年代に入り、本格的な史跡整備を行うこととし、昭和44年、史跡地内の公有化事業を開始しました。昭和48年には浪岡城の環境整備を目指して詳細な地形測量図を形成し、昭和52年から発掘調査事業、昭和62年から環境整備事業を行い、平成10年(1998)に史跡公園がオープンしました。

「浪岡北畠まつり」は、昭和30年代から町内会のねぶた運行を主とした「浪岡夏まつり」として始まり、昭和60年から「浪岡北畠まつり」として再生され、北畠顕家と家臣等の武者行列・ねぶた運行・保育園児の和太鼓演奏などの合同パレード、浪岡八幡宮例大祭、渓流魚手づかみ大会、泣き相撲大会、浪岡戦没者慰霊祭、灯ろう流しなど行われ、今年で28回目を迎えます。詳しくは、『広報あおもり』平成25年8月1日号13ページに掲載されています。ぜひ足を運んでみてください。


北畠顕家と家臣等の武者行列


北畠顕家と家臣等の武者行列


ねぶた運行

今回の内容は『浪岡町史』通史編第2、4巻(平成16年 浪岡町発行)、小和田哲男監修『戦国日本』(平成21年 郷土出版社発行)、瀧本壽史監修『青森・東津軽郡の歴史』(平成19年 郷土出版社発行)等を参考にしました。

問合せ

所属課室:青森市教育委員会事務局市民図書館 担当者名:歴史資料室

青森市新町一丁目3-7

電話番号:017-732-5271

ファックス番号:017-732-5272

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