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更新日:2015年6月1日

「あおもり歴史トリビア」第72号(2013年8月30日配信)

災害シリーズ・関東大震災と青森市(担当:小田桐)

朝夕は涼しさも感じる今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

来る9月1日は防災の日です。今回は、歴史トリビアの災害シリーズの第2回として、大正12年(1923)9月1日に発生した「関東大震災」のお話をします。

関東大震災は、M7.9の地震により、190万人が罹災、死者は10万人以上、全壊全焼家屋はあわせて30万棟以上という、壊滅的な大災害でした。

この大災害に対して、青森市は震災直後の9月3日には義援金の拠出を決定。また、工藤市長は市費からのみならず、市内の資産家にも声をかけ、さらなる義援金を関東へ送ることとしました。青森市は明治43年の大火の際に、工藤市長と懇意であった徳富蘇峰(とくとみ そほう、国民新聞社社長)らから復興のための援助を受けており、このたび関東で大地震があったと聞いて即座に行動したためでしょうか、青森市の対応は非常に迅速であったと言えます。


工藤卓爾市長(『青森市史』別冊人物編より)

9月5日には災害救援に対する緊急市会を招集して救護費を計上し、そのうちから青森駅前救護事務の費用を捻出することを決めました。青森駅前で救護事務というのも不思議な感じがしますが、関東で被災した人々が鉄道を利用して地方へ避難したために、地方の駅にはこのような救護所が設営されたのです。救護所では救護材料を備えて罹災者の相談にのり、また、避難者名簿を作成しました。

青森駅まで逃れてきた被災者の例としては、18歳の見習い職工が9月2日の朝に上野を逃れて線路伝いに平(たいら)駅(現在の福島県いわき駅)まで歩き通してやっと乗車し、4日に青森駅に到着した話や、東京亀戸(かめいど)の紡績工場で働いていた、上北地方の38名と青森の1名の女性たちが夜行列車で帰郷した話が新聞に掲載されています(『東奥日報』大正12年9月5日付および19日付)。


明治41年の青森駅(青森市発行『目で見る青森の歴史』より)

そのほかにも、青森市では避難者を受け入れるだけでなく、各町の総代会議で集まった募金や市民から寄付された衣類などを被災地に送るなど、多くの支援を行いました。

今も当時も人々の絆は変わるところがないのかも知れませんね。

問合せ

所属課室:青森市教育委員会事務局市民図書館 担当者名:歴史資料室

青森市新町一丁目3-7

電話番号:017-732-5271

ファックス番号:017-732-5272

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