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更新日:2015年6月1日

「あおもり歴史トリビア」第73号(2013年9月6日配信)

油川町に建設された青森飛行場 その1(担当:インターンシップ生 逢坂)

先日、大学で日本史学を学んでいる学生さんが、市史編さん室でインターンシップを行い、市史の編集や資料の整理、歴史普及活動などの職業体験をしました。その一環として、メールマガジンの執筆を行いましたので、今回から2回シリーズでお届けします。

 


 

こんにちは。9月2日から4日にかけて、市史編さん室にてインターンシップをさせていただいた逢坂と申します。市史編さん室は、松原のポンプ場にあり、私が最初に訪問した際には大変わかりづらい場所にあると感じましたが、『新青森市史』の編さんなどの業務を遂行している大変重要な部署です。今回は、その市史編さん室が保存している膨大な文書から、戦前に油川町に建設された青森飛行場に関する話題を提供したいと思います。

昭和8年(1933)6月11日、油川町は「空前の賑わひ」を呈したと報じられました。というのは、この日、青森飛行場の竣工式が執り行われたのです。逓信省次官、青森県知事などをはじめとする来賓300人以上が招かれ、青森市の少女たちによる舞踊、油川町の獅子舞の余興も行われるなど、町は「歓喜のるつぼ」と化したといいます(以上、『東奥日報』昭和8年6月12日)。

油川町は、江戸時代以前から繁栄していた「商業・産業都市」でしたが、明治期以降はそれらにも陰りが見え始めていました。また、昭和6年の昭和恐慌によっても同町は著しく疲弊しており、米作は四分作を下回っていました(『新青森市史』資料編7、363ページ)。よって、飛行場を誘致することは昔日の栄光を取り戻し、地域の活性化を目指す上で、非常に重要な事業であることがわかります。

青森飛行場は、東京と札幌への定期旅客便の発着を見越して建設されたものでしたが、すぐには旅客便は就航せず、専ら公用や軍用の飛行機の中継地、演習地として利用されました。旅客便就航は昭和12年まで待たなくてはならなかったのです。


青森飛行場に着陸の重爆機(市史編さん室所蔵写真)

次回は、この旅客便が就航してからの青森飛行場についてお話しようと思います。

問合せ

所属課室:青森市教育委員会事務局市民図書館 担当者名:歴史資料室

青森市新町一丁目3-7

電話番号:017-732-5271

ファックス番号:017-732-5272

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