グローバルメニュー サブメニュー
  • 文字サイズ変更・色合い変更
  • Foreign Language

ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > メールマガジン「あおもり歴史トリビア」 > 「あおもり歴史トリビア」第74号(2013年9月13日配信)

ここから本文です。

更新日:2015年6月1日

「あおもり歴史トリビア」第74号(2013年9月13日配信)

油川町に建設された青森飛行場 その2(担当:インターンシップ生 逢坂)

前回に引き続き、メールマガジンを執筆させていただくこととなりました、インターンシップ生の逢坂と申します。今回は青森飛行場に定期航空がやってきます。

油川町の青森飛行場に定期航空便が就航したのは昭和12年(1937)4月1日のことであり、竣工から4年ほどの年月が経っていました(『東奥年鑑1937年版』518-519ページ)。

このとき就航した航空機は「フォッカー・スーパー・ユニバーサル」機で、操縦士1名、機関士1名、旅客6名が搭乗するものであったといいます。


「フォッカー・スーパー・ユニバーサル」機(市史編さん室所蔵写真)

札幌-青森-仙台-東京を結ぶ上下1便ずつで、青森-東京間は4時間20分、青森-札幌は1時間50分でした(同上519ページ)。平成25年(2013)現在、一番速い新幹線で新青森-東京間が2時間59分であることと考え合わせると、東京まで4時間弱で出られるということは、画期的なことであると思われます。

航空券は松木屋デパート内の「航空案内所」で販売され、運賃は一例を挙げると、東京まで35円、札幌まで20円、新京(当時の満州国の首都、現在の長春)まで182円(東京で乗り換え)で、日時を指定して購入し、出発の50分前には自動車が送迎を行い、搭乗できない際は、運賃の半額が払い戻されたといいます(前掲『東奥年鑑』518-519ページ)。

当時、東京-大阪間の汽車の運賃が約6円であり、現在は8510円なので、35円は現在の5~6万円に匹敵すると予想されます。しかも、エンゲル係数(家計の支出に占める食費の割合)が高い時代ですので、5万円を出費することは現在よりもはるかに困難であり、大多数の市民にとって航空便は非常に高額であったと考えられます。

定期航空は、使用機材の老朽化を理由に昭和15年に休止され、そのまま廃止されました。太平洋戦争に突入した後は、青森飛行場は陸軍に接収され、終戦まで大した使い方もされず、本土決戦に備えて一式戦闘機が数機隠匿されただけでした。青森大空襲の際もそれらの戦闘機が迎撃に上がるということはなかったといいます(稲垣森太「旧青森飛行場の歴史と現存する遺構」『東奥文化』79号)。

昭和10年頃の油川町
昭和10年頃の油川町(『油川町現勢一班』よりトレース)

昭和の恐慌の中で生まれ、町に空前の熱狂をもたらしたという青森飛行場は、決して有名であるとはいえませんが、まぎれもなく、郷土の歴史の1章を飾るものであると思います。

市史編さん室には今回紹介した青森飛行場の文書などが数多く存在しています。そのような貴重な文書を拝見させていただくことができ、とても有意義なインターンとなりました。また、臨時にこの歴史トリビアを書く運びとなり、読みづらい文章もあったと思いますが、最後まで読んでくださった読者の皆様に感謝の意を最後に記させていただきたいと思います。

問合せ

所属課室:青森市教育委員会事務局市民図書館 担当者名:歴史資料室

青森市新町一丁目3-7

電話番号:017-732-5271

ファックス番号:017-732-5272

より良いウェブサイトにするために皆さんのご意見をお聞かせください。

このページの内容は分かりやすかったですか?

このページの情報は役に立ちましたか?

このページの情報は見つけやすかったですか?