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更新日:2015年6月1日

「あおもり歴史トリビア」第78号(2013年10月11日配信)

古川跨線橋の歴史(担当:葛西)

こんにちは。10月も半ばに入り、自動車や鉄道を利用して、紅葉狩りにお出かけされたかたも多いと思います。

今日は、大正時代の青森駅近くの「古川跨線橋」について、お話します。

今から122年前の明治24年(1891)9月1日東北本線全線開通、青森駅が開業し、明治38年9月14日奥羽線全線開通、明治41年3月7日連絡船が就航し、これらの交通網の発達は、北海道への渡航と青森市の産業の発展に貢献することとなりました。しかし、一方では、これらの影響で青森のまちが線路を隔てて東西に分断され、西部地区の発展の障害の一つになっていたといいます。新聞に「青森駅構内の拡張の結果、従来人々が通行していた旧松前道踏切は閉鎖され、遠く国道より更に沖館道を迂回しなければならなくなり、古川町のほとんど全部がこの影響を受けて商況が振るわず廃業・休業する者が続出し、とくに沖館村の鉄道線路沿い地区は、交通を遮断されてしまったのも同然の有様で、古川・沖館両方ともに、死活に関する重大問題となりつつある。」という記事が載っていました(『東奥日報』大正5年2月3日付)。

このため、機会あるごとに青森市と周辺の村々は、鉄道院総裁に横断跨線橋の建設を陳情しました。その結果、現在の青森市民ホール横の「あすなろ橋」付近に、古川町から沖館に通じる「古川跨線橋」を建設することとなりました。大正6年(1917)1月から工事準備に取り掛かり、半年後の7月14日、跨線橋の工事が完成しました。この橋は吊橋で、完成時には、新聞に、「渡り初めが済んだ古川大跨線橋」という見出しで、「長さ72メートル、幅1.8メートル、高さ4.5メートルで、見晴らしがよく、古川・長島辺りの一面が見渡せ、内証で先に通行人が勝手に渡り初めを行い、子どもたちは工事中、面白半分この橋を渡って歩き、欄干にチョークで落書きをしていた」と掲載され(『東奥日報』大正6年7月15日付)、当時の人々がおおいに関心を示した様子が伝えられています。


青森市民ホール横のあすなろ橋


あすなろ橋の名前の由来

ところで、現在の「あすなろ橋」は、平成2年(1990)から県が施工し、平成3年6月に完成しました。長さ156メートル、幅5メートルと以前の橋の2倍以上で、その景観は「青森ベイブリッジ」と似ており、歩行者のほか自転車や車椅子のかたなども通行でき、通勤、通学、買物の人々には大変便利になりました。


青森駅西口付近からみたあすなろ橋


あすなろ橋からみた青森ベイブリッジ

「古川跨線橋」というと、現在の国道7号線の古川~上古川間をイメージしていましたので、大正時代に現在の「あすなろ橋」付近にあったことが、とても意外で、まして吊橋だったことは当時の人々にとっては、とても物珍しかったのだと思います。


古川歩道橋からみた現在の古川跨線橋

今回の内容は『青森駅100年史』(平成3年 JR東日本(株)青森駅発行)、『西部六町会連合記念誌わがまち』(平成11年 青森市制100周年記念事業協賛西部六町会連合記念誌編纂刊行会)、『新青森市史』資料編7近代(2)(平成18年 青森市)を参考にしました。

問合せ

所属課室:青森市教育委員会事務局市民図書館 担当者名:歴史資料室

青森市新町一丁目3-7

電話番号:017-732-5271

ファックス番号:017-732-5272

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