ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > メールマガジン「あおもり歴史トリビア」 > 「あおもり歴史トリビア」第97号(2014年2月28日配信)
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更新日:2015年6月1日
こんにちは、嘱託員の竹森です。今回は、青森市のスキーにまつわるお話をしたいと思います。
現在、青森公立大学国際芸術センター青森(ACAC)では青森の「雪にまつわる道具」をテーマにした企画展「中崎透×青森市所蔵作品展 シュプールを追いかけて」が開催されています。アーティストの中崎透さんの監修のもと、大正期~現在のものまで100組以上のスキー、藁靴(わらぐつ)や橇(そり)など市民の冬の暮らしを偲ばせる道具が展示され、特にスキーは、木の1枚板だった単板スキーから合板スキーへといった変遷を追うことが出来る貴重な展示です。
さて、ここで展示されているスキーの中には、白鳥(スワン)のマーク、また雪の結晶のマークがついたスキーがいくつか見られます。これらは、どちらも「青森スキー製作所」で作られたスキーです。青森スキー製作所は、市内浦町橋本に大正12年(1923)、大町で書店(大観堂)を営む鈴木大観らが発起人となって設立されました。前年の大正11年に県教育会主催の青森県初のスキー講習会が新城村で開催され、青森県スキー連盟とその青森支部が結成されるなど、この時期は市民のスキー熱もだんだんと高まってきた頃です。
青森スキー製作所製の「スワン」ブランドのスキーは、スキーを奨励していた青森営林局や青森市スキー連盟をはじめ、市内のスキー愛好家に親しまれました。
青森スキー製作所製のスキー(大正期)
(青森市森林博物館展示資料を参考に筆者作画)
白鳥(スワン)のマーク
(青森市森林博物館展示資料と『青森スキー製作所70年小史』を参考に筆者作画)
昭和初期の新城スキー場(青森市役所発行『青森名所案内』より)
青森スキー製作所は、戦時中軍需工場となり、スキーのほか軍事用品を製造することとなりますが、戦後、昭和30年代には「SNOW・FLAKE」(雪の結晶)のマークでスキーの海外輸出を開始しました。同社は現在も「株式会社ブルーモリス」としてスキー器具の製造・販売を行っており、各地のスキーヤーに広く親しまれています。
青森スキー製作所の広告
(市史編さん室所蔵「市町村合併記念新観光地ハイキングコース絵図」より)
青森という豪雪地域ならではのスポーツであるスキーは、製造工場の誕生でより一層市民に広がり、身近なものとなりました。
冒頭で紹介いたしました企画展「シュプールを追いかけて」は3月16日まで開催されますので、雪と向き合い親しんできた青森の人々の軌跡を、皆様も追いかけてみませんか。
※今回のトリビアは『青森スキー製作所70年小史』(株式会社青森スキー製作所 1994年)、『青森県総覧』(東奥日報社 1928年)を参考にしています。
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