ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > メールマガジン「あおもり歴史トリビア」 > 「あおもり歴史トリビア」第86号(2013年12月6日配信)
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更新日:2015年6月1日
今回は先週に続き、江戸っ子の喜次郎兵衛と津軽生まれの弥太八による江戸時代の青森の旅をご紹介します。冬を迎えてしまいましたが、二人の旅の季節は春。そのイメージで読んでくださいね。今日、ご紹介する二人の旅の日程は4月8日と思われます。
諏訪明神の裏門を出た二人が、たばこ町に入って向こうを見ると、塩町で競馬(くらべうま)の最中で、土煙が天高く舞い上がり、騎手のかけ声や、見物の群集の誉め立てる声が響きわたっていました。
競馬については、6月7日の「あおもり歴史トリビア」でもご紹介しましたね。速さを競うのではなく、遠近の100の名馬が集まって、綺麗な服で馬を飾り、騎乗する人も派手な衣装を着て「縦横立乗り」や「一足飛」などいろいろな曲芸をして順位を争うもの。
塩町の競馬は、毎年4月8日に行われ、おそらく当時の青森の「春の風物詩」だったのではないでしょうか。
5月5日に弘前、そのほか黒石、浪岡、五所川原、木造(つがる市木造)など、競馬は各所で行われていたようですが、これらのうち、青森、黒石、木造が最上といわれているとあります。遊郭のある塩町ならではの華やかな雰囲気の中で、優れた技が見られる競馬に興じる人々の興奮が伝わってくるようです。二人ももちろんその群集の中へ。
喜次郎兵衛と弥太八は、このあと、塩町で遊んで過ごし、暗がりの道を迷いながらもなんとか宿に戻ります。「がさえび」(シャコ)で呑みなおし、二人の青森の旅は終わりを迎えたのでした。
塩町の標柱(モルトン迎賓館前)
さて、予告編も含め5回にわたってご紹介した、『御国巡覧滑稽嘘盡戯(おくにじゅんらんこっけいうそつきげ)』による江戸時代の青森の庶民の旅、いかがでしたか?
当時の青森の地名や名所旧跡など、見覚え・聞き覚えのあるものが随分登場していましたね。江戸時代のものが今に残っている、繋がっていると思うと、この青森のまちに妙に愛着が湧いてきます。
『御国巡覧滑稽嘘盡戯』による江戸時代の青森の旅の紹介は、『新青森市史』通史編第2巻に掲載されている、石山晃子氏の「絵画・紀行文にみる青森」によっていますが、石山氏は、この『御国巡覧滑稽嘘盡戯』は、津軽領内の旅のガイドブック、また郷土に関する教養テキストとして、多くの人に読まれることを期待して著したものと推測しています。このような道中案内を兼ねた書物によって「音に聞こえし繁華の湊」などと宣伝されるにつれて、領内からも青森見物の小旅行に訪れる人々がさらに増えたのではないかと。
私自身も、こうして物語を辿りながら、『御国巡覧滑稽嘘盡戯』の旅をなぞらえて、現在の青森を巡ってみるのも面白いかなと思えてきました。皆さんはいかがですか?
喜次郎兵衛と弥太八の旅のルートを地図に落とすことができれば、今回のメールマガジンのホームページ版や冊子版でご紹介したいと思いますので、どうぞお楽しみに。
春になったら、その地図を片手に青森の町めぐりができるといいですね。
喜次郎兵衛と弥太八の旅のルート
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