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更新日:2015年6月1日

「あおもり歴史トリビア」第87号(2013年12月13日配信)

義民・落合千左衛門 その1(担当:工藤)

こんにちは!事務長の工藤大輔です。

みなさんは「落合千左衛門」もしくは、落合千(仙・専)右衛門という人物をご存知でしょうか。ご存知のかたの多くは、後者の名乗りの方で知っているかと思いますが、『新青森市史』では、当時のオフィシャルな史料で多く使われている「千左衛門」を採用しています。

さて、落合千左衛門は、昭和30年(1955)刊行の『青森市史』別冊人物編(以下、「人物編」)にも取り上げられており、青森市の歴史上の有名人といってもいい人物のひとりです。彼は寺子屋の先生、俳人としても知られていますが、何といっても天明3年(1783)のいわゆる「天明の飢饉」の際に青森町で起こった、「青森騒動」という打ちこわし事件の首謀者として知られています。


『青森市史』人物編に取り上げられた落合専左衛門

「人物編」の記述によれば、飢饉によって米価が高騰し、青森町民は日々の生活に困窮するようなありさまでした。そこで、それを見かねた千左衛門たちは徒党を組み、町内の「米持の家(米を隠し持っていると疑われた家)」を打ちこわしました。この事件では、千左衛門をはじめ40数名の人物が、弘前藩によって逮捕され、牢に収容されました。そして、この時すでに70歳を過ぎていた千左衛門は、「自らが首謀者であることを自首して、ほかの者たちを放免するよう願い出て、ひとり獄死」したといいます。つまり、千左衛門は「義民」(ここでいう打ちこわしや百姓一揆の指導者として処罰されながらも、民衆には敬愛された人物)として評価され、それで「歴史上の有名人」となった訳です。

千左衛門に対するこのような評価を否定する積もりはまったくありませんが、いろいろと調べていくと、彼には「別の顔」があることが分かってきました。機会があれば、こちらについてもご紹介しようと思います。

問合せ

所属課室:青森市教育委員会事務局市民図書館 担当者名:歴史資料室

青森市新町一丁目3-7

電話番号:017-732-5271

ファックス番号:017-732-5272

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