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更新日:2015年6月1日

「あおもり歴史トリビア」第88号(2013年12月20日配信)

義民・落合千左衛門 その2(担当:工藤)

こんにちは!事務長の工藤大輔です。

今回は、落合千左衛門の第2弾です。前回は、天明3年(1783)の「青森騒動」を舞台にお話ししましたが、今回はそこから30年ほど遡ります。ちょうど、弘前藩では儒学者で勘定奉行となった乳井貢(にゅうい みつぎ)による藩政改革(「宝暦改革」)が行われていた時期に相当します。なお、以下の叙述は、敢えて断らない限りは、「弘前藩庁日記 御国日記」(以下、「国日記」)の史料によっています。

さて、千左衛門ですが、どうやらこの改革の時期、宝暦4年(1754)7月に青森町年寄(町役人)に取り立てられた伊勢屋市郎右衛門と同一人物のようです。彼は、町年寄に就任の直後に先祖の苗字である落合に改姓しています。一方、改名の時期は分かりませんが、宝暦7年11月には確実に「落合千左衛門」と名乗っていることが確認できます。

藩政時代を通じて、青森町年寄は佐藤家と村井家が担っていました。その職に千左衛門が就いた訳ですから、異例であり、大抜擢としかいいようはありません。「国日記」のような公的な史料ではありませんが、この直前に彼は安方に蔵を建ててこれを藩庁に寄附しているともあり、この町年寄就任との関連性を匂わせます。


安方に建てられた蔵
(県史編さんグループ所蔵「天明三癸卯年大凶年店表日記写銘細書并青森出火之図」をもとに作図)

それから4年が過ぎた宝暦8年11月、千左衛門は町年寄を解任されます。理由は分かりません。ただ、この年には宝暦改革を推進した乳井貢が失脚した年でもあります。したがって、安方の蔵の件はともかく、千左衛門の町年寄への就任・解任は、どうも乳井貢との関係から理解せざるを得ないようです。

しかも、後の編さん物史料ではありますが「津軽編覧日記」という記録によれば、天明3年のあの「青森騒動」では、千左衛門をはじめ騒動に加担した者たちは、乳井貢(安永7年〈1778〉に復職するも2年後に再び蟄居となる)のお咎め御免を願い出ています。これまでの流れからいうと、とても惹きつけられる記録です。これが歴史的な事実だとすれば、「青森騒動」は、落合千左衛門などのいわば乳井派が、政治的復権をかけた闘いだった…ともいえそうですが、さていかがでしょう。

ただ、少なくとも、千左衛門という人物が町年寄という、青森町の町政にかかわっていた、そういう背景があるということが明らかになったことは、「青森騒動」の理解にきっと新しい視点を与えてくれるだろうと思います。


落合を「てれん者」と評する記録
(『新青森市史』資料編4より)

問合せ

所属課室:青森市教育委員会事務局市民図書館 担当者名:歴史資料室

青森市新町一丁目3-7

電話番号:017-732-5271

ファックス番号:017-732-5272

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