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ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > メールマガジン「あおもり歴史トリビア」 > 「あおもり歴史トリビア」第126号(2014年9月26日配信)

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更新日:2015年8月10日

「あおもり歴史トリビア」第126号(2014年9月26日配信)

浦町にあった大林区署(担当:鈴木)

こんにちは。このところ、急に秋めいてきましたね。

先日、「あおもり歴史トリビア」第122号(8月29日配信)で私立青森幼稚園(明治42年〈1909〉9月開園)の『創立満十周年記念帳』をご紹介しましたが、その中に気になる記述がありました。それは開園時の苦労を記した部分で、大林区署焼け跡の瓦や石の混じった堅い土が積まれているのを開墾し、幼い子どもたちも共に働いて花壇、築山、田畑まで整えた、というものです。しかし、この大林区署跡地に建てられたのは税務署だったのでは?と思い調べてみました。

すると、実はこの庁舎は、旧税務署通りにつながる現在の観光通り(国道103号)を跨ぐかたちで建っていたのです。

青森大林区署周辺
青森大林区署周辺
(明治39年「青森市全図」、市史編さん室蔵)

明治19年の大小林区署制度公布により、県内国有林野の管理経営のため青森大林区署が設置されました。これが、のちに大正13年(1924)の制度改正で青森営林局となります。大林区署の開設当時は新浜町に事務所がありましたが、明治36年に浦町字橋本に新庁舎(以下、浦町庁舎)が完成。総ヒバ造りの2階建で屋根はスレート葺き、玄関部分は3階建で八角形に突き出した、当時の県庁をもしのぐルネッサンス式の豪壮な洋風建築でした。11月15日の落成式の夜には、全職員が提灯行列で新庁舎まで行進し市民を驚かせたそうです。

青森大林区署(市史編さん室蔵)
青森大林区署(市史編さん室蔵)

この浦町庁舎は現在の観光通りの上に北向きに建てられ、鍛治町(現本町通りのコンビニがある付近)からこの庁舎までの道は、このとき初めて通じました。

しかし、この立派な庁舎は残念なことに明治40年1月16日の失火により焼け落ちてしまいます。その後、滝内村大字沖館に製材工場や貯木場があったことからそちらに移転することとなり、翌明治41年11月に新しく庁舎が建てられました。これが、現在の青森市森林博物館の建物です。

浦町庁舎が焼失、移転を決めた後、ここに税務署を建てる話がでますが、浦町発展のためには、鍛治町から国道を横切って浦町庁舎まで通した道をさらに延長すべきとの意見で、敷地を二分して道路を通し、東側に税務署(明治41年6月落成、現商工会館の場所)、西側に青森幼稚園が建てられたのでした。この税務署は昭和20年(1945)の大空襲で焼失後、旧税務署通りの青森教会北側に移り、現在は長島1丁目の青森第二合同庁舎内にあります。

青森税務署(市史編さん室蔵)
青森税務署(市史編さん室蔵)

さて、その後この道路はさらに延長され、明治45年の地図(『新青森市史』資料編第7巻付図)では旧線路を越えて高等小学校(現中央西公園・元浦町小学校)まで、大正15年の地図ではこの年に南方に移転した新しい東北本線(現在の中央4丁目付近)まで延びています。今では、さらに八甲田大橋を渡り、浜田、横内を通って八甲田までつながる道路となっています。

明治44年の地図
明治44年の地図
(明治44年「青森市全図」、市史編さん室蔵)

大正15年の地図
大正15年の地図
(大正15年発行「大日本職業明細図之内青森県」、市史編さん室蔵)

※今回のトリビアは、『青森市町内盛衰記』(昭和28年 肴倉弥八著)、『樹齢百年―青森営林局の一世紀―』(昭和61年 林野弘済会青森支部発行)を参考にしました。

問合せ

所属課室:青森市教育委員会事務局市民図書館 担当者名:歴史資料室

青森市新町一丁目3-7

電話番号:017-732-5271

ファックス番号:017-732-5272

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