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更新日:2015年8月10日

「あおもり歴史トリビア」第122号(2014年8月29日配信)

私立青森幼稚園の『創立満十年記念帳』(担当:鈴木)

編さん室が所蔵する、市民の方から寄贈いただいた資料の中に、とても貴重なものがあります。大正8年(1919)9月に発行された『創立満十年記念帳』(社団法人 私立青森幼稚園)という冊子もそのひとつで、幼稚園創設から10年間の関係者の苦労と喜びが綴られています。この私立青森幼稚園(以下、青森幼稚園)は、現在の篠田にある学校法人青森幼稚園とは別の園で、これをお読みいただいている70代以上の方の中には、この青森幼稚園ご出身の方もおいでかもしれません。

『創立満十年記念帳』
『創立満十年記念帳』(市史編さん室蔵)

青森幼稚園は、明治41年(1908)の皇太子行啓を記念して市内の篤志婦人12名が発起人となり、明治42年9月1日に浦町橋本、現在のNTT交差点より少し南、国道103号線(観光通り)をはさんで商工会館の向い側付近に開園されました。

創立当時の園舎
創立当時の園舎
(『創立満十年記念帳』)

青森幼稚園周辺の地図
青森幼稚園周辺の地図
(昭和11年発行「都市計画 青森市街全図」、
市史編さん室蔵)

それ以前にも、歩兵第五連隊将校子弟のために筒井村に開かれた青森偕行社幼稚園や、聖アンデレ教会による聖マリア遊戯会(のちに聖マリア幼稚園)がありましたが、一般の幼児を対象に幼稚園として青森市に開園したのは、この青森幼稚園が最初でした。

園児の定員は開園時70名で、4歳児と5歳児の2クラスでしたが、入園希望者が増えたため、大正2年からは定員を120名(4歳児1クラス・5歳児2クラス)に増やしました。初代園長は淡谷清蔵氏、職員は保母1名、助手2名、事務員1名、園医は市民に親しまれていたという長尾病院の長尾健字医師です。顧問、役員には当時の青森政財界の重鎮が名を連ねていました。

画期的なのは、大正2年12月から園児の送迎をしていることです。雪国青森では家の遠い園児の通園が大変なため、人を雇って冬は橇、雪のない季節は乗り合い車で送迎していました。この記念帳の口絵(下の写真)には、白いエプロンをつけた子どもたちが園舎の前に並び、右横の屋根つき二輪の車に子どもが数名乗っている写真が載っています。これなら保護者も安心ですね。

園舎の前に並ぶ子どもたち
園舎の前に並ぶ子どもたち
(『創立満十年記念帳』)

大正4年からは保護者会を発足。毎月17日に定例会を開き、保護者だけでなく一般市民も会員に受け入れて講話を聞くなど、教育に熱心な様が感じられます。

明治43年の青森大火の際、園舎は類焼を免れましたが、市立病院(現在の神病院の場所にありました)が焼失してしまったために2ヶ月ほど保育を中断して仮病院として使われました。また、大正4年2月から大正7年9月までは、園の一部を私立青森簡易図書館に貸与していました。

青森幼稚園は、昭和20年(1945)7月28日の空襲により園舎が焼失、残念ながらその後は再開されませんでした。

この記念帳は、つやのある白糸で綴じられていますが、これには子どもたちが園の裏畑の桑で育てた蚕からとった絹糸が使われています。当時、青森では養蚕(ようさん)はまだ珍しかったのですが、大正半ばの園児たちがこうした体験学習をするなど、なかなか進んだ教育を受けていたのですね。

問合せ

所属課室:青森市教育委員会事務局市民図書館 担当者名:歴史資料室

青森市新町一丁目3-7

電話番号:017-732-5271

ファックス番号:017-732-5272

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