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更新日:2016年1月8日

「あおもり歴史トリビア」第118号(2014年8月1日配信)

青森市にあった「凱旋門」(担当:鈴木)

いよいよ明日からねぶた祭り。なんとなく気持ちがワクワクしてしまいますね。

7月4日配信の「あおもり歴史トリビア」第114号で、諏訪神社の燈籠(とうろう)のレリーフをご紹介しましたが、その中で「凱旋門?」と不思議に思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。実は青森市にも凱旋門があったのです。

諏訪神社の燈籠のレリーフ(凱旋門)
諏訪神社の燈籠のレリーフ(凱旋門)

明治37年(1904)2月10日、日露戦争が勃発。青森の歩兵第五連隊も黒溝台(こっこうだい)、奉天での激戦に参加し多数の犠牲者を出しましたが、日本が大国ロシアに勝利したことで、国中が祝賀ムードに包まれました。明治38年9月、ポーツマスでの日露講和条約調印で戦争が終結。帰還兵たちを歓迎するために、全国各地で凱旋門が建造されます。ただし、ほとんどが木造建造物で、残された写真を見ると、西洋風・和風・アーチ型と地域によってデザインや規模も様々です。

明治38年から39年にかけての『東奥日報』には、市内にあった凱旋門についての記事があります。明治39年4月22日付記事には、大観兵式に参列する部隊と将校の上京のために「青森市凱旋門及び五県連合凱旋門」に電灯を点火、また同年5月22日付記事にも、この年開催された「開港及び開市280年記念祝賀会」で「安方町の両凱旋門」の電飾を点けたとあります。

つまり、このとき青森市には安方町に2つの凱旋門があり、レリーフに描かれたのは、五県連合凱旋門の方と思われます。この西洋風の壮麗な凱旋門は、明治38年12月以降に、当時は安方側を向いていた青森駅前に建てられました。「祝凱旋」「第八師管」の文字が掲げられ、見たところ3階建ての建物くらいありそうです。では、もうひとつの青森市凱旋門はどんなものだったのでしょう。

レリーフに描かれた五県連合凱旋門
レリーフに描かれた五県連合凱旋門
(青森市発行『目で見る青森の歴史』より)

明治38年11月10日、青森市にも、安方町丸ニ運送店前に「半永久的木造」凱旋門を建築することになり、すぐに建設が開始されます。大まかな形は10日間ほどで作ってしまったようで、その後、電灯会社が電飾を設置、ペンキを塗り、日章旗などを飾って同月末には完成。全体の大きさは巾6間(約11メートル)、高さ8間半(約15.5メートル)、掲げられた額の題字は、一文字の大きさが「祝凱旋」は4尺(約120センチ)四方、「青森市」は3尺(約90センチ)四方とあります。

帰還兵たちは、12月初旬の後備歩兵第五連隊をはじめ、翌年3月に第八師団が凱旋、あちこちで歓迎会が催されました。

また、同じ頃、浅虫の青年達が計画し停車場構内に凱旋門を建設との記事がありますので、県内各地でも有志などの手による凱旋門が作られたようです。

レリーフにある五県連合凱旋門は明治39年11月、役目を終えて取り壊されました(青森市凱旋門は取り壊し日不明)。ですから、燈籠が寄進された昭和15年(1940)にはもう存在していなかったのですが、戦勝の験を担いで図柄に選んだのでしょうか。たった1年だけ青森に存在した凱旋門。ちょっと見てみたかったですね。

手前が第八師団歓迎門、奥に見えるのが凱旋門
手前が第八師団歓迎門、奥に見えるのが凱旋門
(青森市発行『目で見る青森の歴史』より)

問合せ

所属課室:青森市教育委員会事務局市民図書館 担当者名:歴史資料室

青森市新町一丁目3-7

電話番号:017-732-5271

ファックス番号:017-732-5272

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