ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > メールマガジン「あおもり歴史トリビア」 > 「あおもり歴史トリビア」第103号(2014年4月18日配信)
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更新日:2015年7月1日
桜の開花まであと少しとなりました。青森市では合浦公園と野木和公園を会場に青森春まつりが開催されます。会場のひとつである合浦公園にはさまざまな石碑、銅像があります。今回はその中から、篠原善次郎の胸像を紹介したいと思います。
篠原善次郎翁像
篠原善次郎は「あおもり歴史トリビア」第26号で紹介した「午砲(ごほう)」の寄贈者であり、「市営バスの創始者」とも呼ばれる人物です。
篠原は鹿児島県出身で、北海道開拓使庁(北海道庁の前身)で働いた後、明治16年(1883)に青森市で乗合馬車事業を始めました。さらに、大正12年(1923)には乗合自動車の運行許可を得て、翌年春から営業を開始しました。この時、すでに篠原はバス事業を公営化すべきという考えを持っていたといいます。
そして大正15年3月6日、篠原は青森市に対して乗合自動車6台と現金1万5000円(新車2台の購入費と車庫の建設費)を寄附しました。市は同年4月2日付で内務・運輸省の許可を得、11日からバスの運行を開始しました。日本初の公営バスは大正13年1月に開業した東京都営バスとされているので、青森市営バスも公営バスとしては早い時期に運行を開始したといえるでしょう。
さて、市営バスは昭和31年(1956)に創業30周年を迎え、市はその記念に篠原の胸像を製作し、合浦公園で除幕式が行われました。実は昭和6年にも北山一郎市長が篠原の功績をたたえて胸像を建立しているのですが、昭和18年に戦力資材として供出されてしまいました。そこで、創業30周年の記念として横山実市長が胸像を再建したのです。
『市営バス三十年の歩み』(市史編さん室蔵)
胸像の作者は木造町(現つがる市)出身の彫刻家・中野桂樹(けいじゅ)です。中野は弘前の仏師・早坂寿雲(じゅうん)に師事し、弘前で7年修行を積んで上京。東京美術学校彫塑科を卒業しました。帝展では第10回(昭和4年)から3年連続で特選となるなど、木彫界で活躍した人物です。胸像が製作された昭和6年は中野が帝展で高い評価を受けた時期にあたります。その活躍をみて胸像の製作を依頼したのかもしれませんね。
このたび刊行の『新青森市史』通史編第3巻には胸像の除幕式の写真が掲載されていますので、ぜひご覧ください。そして、お花見で合浦公園を訪れた際には、篠原善次郎の胸像を探してみてくださいね。
※『新青森市史』通史編第3巻、『市営バス三十年の歩み』、青森県史叢書『近現代の美術家』などを参考にしました。
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