なみおか今・昔101

町史かわら版(8)

〜浪岡町に残る切支丹改帳〜

 江戸時代は、キリスト教の信仰が禁止されていました。江戸時代初期の厳しい弾圧の結果、キリスト教徒、当時はキリシタン(切支丹・切死丹などと記載)と呼ばれていましたが、そのキリシタンは中期以降は皆無となり、公文書上もキリシタン調査に端を発した宗門改めから領民把握の戸籍台帳へと性格を変えていきました。
 ところで、この公文書、一般に「宗門人別帳」といいますが、実は残っているようで、ほとんど残っていません。当浪岡町でも細野雪田家文書の中にある天明3年(1783)7月に庄屋の甚太良が提出した「浪岡組相沢細野村切死丹御改帳」と吉内成田家文書の中にある寛政4年(1792)7月の「吉内村切支丹御改控帳」の2冊が残っているだけです。「切死丹御改帳」などとありますが、この切支丹改めと、檀那だんな寺が切支丹ではないことを証明する宗門改めは同じ内容と考えて差し支えありません。ひょっとしたら津軽領ではこの2冊を含め数冊しか残っていないかも知れません。江戸時代を通して何度か村ごとに切支丹改めが実施されており、藩に提出したもののほか、村でもその控えを作成しているはずですから、残存状況があまりにも少な過ぎます。なぜ残っていないのかという観点から、今後、検討されるべき問題と考えています。
 さて、このようなことから、雪田家文書の切支丹改帳は大変貴重な資料であるわけですが、それではどのような記載になっているのでしょうか。相沢村の最初には次のようにあります。

「一、 家内五人内  男四人
  女壱人
     宗旨禅 五人組
     保福寺   孫四良(印) 」

つまり、五人組役を務める孫四良の家族は、男4人、女1人の5人家族であり、宗旨は禅宗で、保福寺(黒石市乙徳兵衛町、曹洞宗)の檀家である、という記載です。さらに、このことに間違いないという確認の意味で孫四良が捺印しています。これが、相沢村と細野村のすべての家について記載され、1冊にまとめられたものが「浪岡組相沢細野村切死丹御改帳」というわけです。家族の名前や年齢が記された人別帳とは言えませんが、相沢村・細野村の各末尾には各宗旨(禅・浄土・門徒宗)ごとの男女別人数、五人組・百姓・高無・借地ごとの人数と軒数、馬数、犬数、鶏数が記載されており、領民把握のための性格も持っていたことが分かります。馬数改めはそれのみでも実施されているので珍しくはありませんが、犬と鶏の記載は何のためでしょうか。吉内村のものにも同様の記載があり興味深いところです。ちなみに相沢村には馬34匹、「男犬」ばかり3匹、鶏は「男鳥」「女鳥」各6羽、細野村には馬61匹、「男犬」ばかり6匹、鶏は「男鳥」「女鳥」各10羽とあります。
 本書末尾には、庄屋の甚太良が、自分の支配している両村あわせて315人について調査したところ、禁止されている切支丹などは一人も居ない、各家ではそれぞれ檀家である寺から切支丹ではないという証明書の寺請状(寺請証文)を所持している、万一禁止されているものが発覚した場合は自分(庄屋の甚太良)の一族まで罪を仰せつけられるべきこと、などが記されています。弘前藩の切支丹統制と領民把握のあり方を探るうえで、このような資料がほかにも確認されることが期待されます。

「浪岡組相沢細野村切支丹御改帳」-犬と鶏の数、記載部分「浪岡組相沢細野村切支丹御改帳」の表紙
犬と鶏の数が記載されている部分「浪岡組相沢細野村切支丹御改帳」
の表紙

【町史編集委員 瀧本壽史】

『広報なみおか』平成15年(2003)11月1日号に掲載


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