なみおか今・昔76

なみおか町史コラム(6)

〜浪岡の平野家〜

 浪岡の平野家の資料として、平野家一門の系図、平野家由緒書、その他若干残されており、また「弘前藩庁日記」にも平野家に関する事が記されている。
 平野家の先祖は、江戸時代初期の万治年間(1660年)頃に若狭国(福井県)から浪岡の地に来たとの説もある。初代が平野理左右衛門、2代喜三郎、3代宇八郎、4代喜八郎、5代甚之助、6代伴助、7代友次郎、8代多市、9代兵作、10代喜多作、11代喜代作、12代和徳(現在)と続いている。
 歴代当主のなかで、浪岡村の庄屋や、浪岡組の手代となって藩行政に協力したり、幕府の巡見使が浪岡の田地・年貢の調査に来た際に宿泊の便を図ったようである。
平野家一門の系図
平野家一門の系図
平野家懇親会の記念撮影(昭和15年)
平野家懇親会の記念撮影(昭和15年)
 文久元年(1861)9月25日の「弘前藩庁日記」によると、浪岡村の油屋平野屋清助が菜種油の買い入れをするとの商活動が記されていた。総本家平喜(屋号:ヒラキ)では、代々農商を営んで繁栄したとの記録もある。
 明治以降になって、平野家は一族の親交を深める為に総本家を中心に年始廻礼が行われてきた。
 大正5年(1916)2月13日付の『東奥日報』記事によると、平野家第1回懇親会が2月10日、一族26名の出席で、平野柾五郎宅で開かれ、床の間に平野家一門の系図を飾り、丸に剣花菱の平野家紋章形の特製菓子を配ったと記されている。
 第3回懇親会が大正7年2月17日、平野半兵衛(屋号:ヒラハン)宅にて開催、一族19名が出席して親睦を図り、平野家紋章入りの特製陶器が記念品として配られたと新聞記事にみられた。
 昭和15年(1940)、浪岡町初代町長となった、平野亮徳(屋号:ヒラカン)宅の洋風建物の前で写った、皇紀2,600年記念、平野家の記念写真が残されています(下の写真)。
 昭和16年2月26日、第27回平野家懇親会が平喜宅で開催されたが、その後戦時体制の為にやむなく中断された。
 戦後、平成3年(1991)4月28日、花岡荘において第1回懇親会が復活された。
 平成13年5月7日、津軽富士見ランドホテルにて通算38回目の平野家懇親会を開き、現在は、平野秀夫会長を中心に平野家相互の親睦と、浪岡の地域社会に如何にして貢献するかと、会の今後の活動を模索中のようであります。

【町史執筆委員 平野藤男】

『広報なみおか』平成13年(2001)10月1日号に掲載


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