なみおか今・昔46

浪岡北畠氏の足跡(1)

〜洛北北畠〜

 今回からテーマを変えて、浪岡の象徴“北畠氏”の活動状況を紹介したいと思います。読者の皆さんとともに、県内外にある北畠氏の遺跡を歩きましょう。ご愛読ください。
 浪岡御所北畠氏は、10世紀半ばに在位された村上天皇の皇子、具平(ともひら)親王の子孫といわれています。後年洛北の“北畠”に住んだところから、その地名を名乗るようになりました。
 “北畠”の地は現在の京都御所の北東にあたります。もっと詳しくいえば、京都御苑の北東角、今出川(いまでがわ)御門から入る道と、石薬師御門から入る道が交差するあたりです。後者はちょっと説明しにくいのですが、今出川御門は同志社大学や相国寺の南側で、案外簡単に行くことができます。
 今出川御門から入ると京都御苑が広がり、葵祭や時代祭の風景を思いだします。
今出川御門
北畠氏の屋敷跡
今出川御門(上)から入ったあたりに
(下)北畠氏の屋敷がありました。
 この地で過ごした北畠氏から、14世紀前期に親房(ちかふさ)が現われたのです。彼は後醍醐天皇に重く用いられて、“建武の新政”に参与し、南朝の重臣として活躍しました。正二位大納言まで昇進した公卿ですが、武将として南朝を支え、学者としての業績も知られています。
 親房の子供には顕家・顕信・顕能(あきよし)などがいます。顕能は伊勢の国司となり、子孫はここで室町時代を過ごしました。また顕家と顕信の子孫は、浪岡に入ったと考えられています。浪岡城主北畠氏は、顕家の子孫という見方が強いのです。
 京都御苑への旅はJR特急“日本海”“白鳥”で京都駅下車、地下鉄に乗り今出川駅3番出口から歩くのがよいでしょう。バスは乗りかえが必要なのです。空港の町浪岡の住民としては大阪空港まで空の旅を楽しみ、リムジンバスで京都入りする方法もあります。京都で2時間ゆとりがあったなら、御苑を散策するのがよいと思います。浪岡町民として北畠氏の古里をぜひ知ってほしいのです。(次回は多賀城と親房・顕家)

【浪岡町史編さん室長 佐藤仁】

『広報なみおか』平成11年(1999)4月1日号に掲載


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