なみおか今・昔33

ふるさとの写真を読む(2)

 今回は90年前の鉄道の写真を読みましょう。2枚の写真は『奥羽線建設概要』に載っています。写真①は煙の方向と勾配(こうばい)から弘前へ向かう下り(現在の上り)列車と考えられます。客車7輌・貨車6輌くらいの混合列車で、前後に機関車がついています。機関車はのちの2120型でしょうか。
 写真は鶴ヶ坂集落の南方、東側の高地から撮ったと推測されます。ひょっとすると旧道に近い所から撮影したのかも知れません。線路の一段上に新道(現国道)があります。この風景は線路の変更と植林のため現在は見ることができません。逆位の機関車と後ろの機関車の煙をごらんください。
1.大釈迦に向けて進む列車
写真① 大釈迦に向けて進む列車
2.雪覆の工事
写真② 雪覆の工事
 奥羽線の問題点は勾配が急なことでした。それは敷設当時から問題になっていたのです。奥羽線のルートを決める際、鶴ヶ坂の集落の南側から孫内を通り、トンネルで五本松に抜ける案がありました。このルートは勾配もゆるく、運転は楽なのですが、木造・五所川原の人々から駅が遠くなると反対されました。大釈迦駅は西北地方の人々のための駅なのです。鶴ヶ坂〜大釈迦ルートに線路は決まりましたが、急勾配はスピードと牽引力のネックになったのです。初代のトンネルと路盤は鶴ケ坂側に残っています。大釈迦側の路盤の内、トンネルの入口と切り通しの部分は埋められてしまいました。今、そば屋さんなどがその上に建っています。
 写真②は、大釈迦側の線路です。冬になると切り通しに雪がたまり、列車の運転がままならなくなるのです。そこで、切り通しに雪覆をつける工事がおこなわれました。向こうに大釈迦トンネルの入口が見えます。中央に人が3人立っています。そこが今の国道です。この写真を撮ったのは明治38年(1905)ころ、現在では右側の山は削られ、付近の景観はすっかり変わってしまいました。

【浪岡町史編さん室長 佐藤仁】

『広報なみおか』平成10年(1998)3月1日号に掲載


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