なみおか今・昔25

石造文化財が語るもの(7)

 京都に行くと「百万遍(ひゃくまんべん)」という所があります。京都大学に近く、銀閣への通り道です。付近には浄土宗四本山の1つで百万遍念仏に縁の深い知恩寺があります。京都の町を散策したことがある方には、印象深い地名だと思います。
 浪岡付近には百万遍の文字を刻んだ石碑が多くあります。この塔の前で念仏《南無阿弥陀仏》を百万遍唱えると功徳があるという浄土宗関係の石塔です。
 百万遍塔が造立された動機は2つあります。北津軽郡中里町亀山の庵寺跡の石塔には、「*三ヵ年百万遍供養」と刻まれており、3年間で百万遍念仏を唱える修行が行われたのです。おそらく庵主の発願と思われます。なお、*の所には極楽浄土の仏である阿弥陀仏を示す「キリーク」という種子(梵字(ぼんじ))が刻まれています。
杉ノ沢村北端の百万遍
杉ノ沢村北端の百万遍(中央)
大釈迦村南端の百万遍
大釈迦村南端の百万遍
 もうひとつは一般庶民の信仰にともなう石塔です。集落内には信者の集団である念仏講がありました。講の人びとは輪になって大数珠を持ち、南無阿弥陀仏を唱え極楽往生を願いました。百万遍塔は集落の出入ロや地蔵堂の横で見かけます。石塔はあまり大きくなく、高さは80cm程度、ほかの石造記念物とは違い、あまり大きく手を加えたものはないようです。
 建立されている場所を大釈迦峠のふもとで見ると、杉ノ沢村(北大釈迦)南北両端の現国道沿い、七段坂への旧道にある明治13年(1880)の3点セット、大釈迦村の現・旧国道の南と北の離合部にはそれぞれ新旧2基があります。中には道路工事のため移動したものもあると思いますが、集落の出入口に多いのです。本来の念仏信仰だけでなく、集落内に病気や悪霊が入ってこないようにとの願いも込められているのです。浄土宗の金光上人や原子にあった浄土真宗の浄願寺の影響によるものでしょうか。浪岡地域には百万遍塔は多く、念仏講も続いています。彼岸にはこの塔の前から念仏の声、「かねこ」の響が流れて、季節の移り変わりを感じさせるのです。

【浪岡町史編さん室長 佐藤仁】

『広報なみおか』平成9年(1997)7月1日号に掲載


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