なみおか今・昔3

町史研究余録(3)

〜イザベラ・バードと明治天皇〜

 明治11年(1878)8月、イギリスの大旅行家イザベラ・バードは、碇ケ関から黒石を経て浪岡に入り、大釈迦峠を越えて青森に向かいました。47歳の彼女は、その時の見聞を『日本奥地紀行』に記しています。浪岡に関係ある部分を紹介しましょう。
 「黒石から青森までの旅は…道路が悪かったために…塩魚を重く積んだ駄馬の通行で道は泥沼と化していた。」「農業を営む部落の様子はますますひどくなってきた。家屋は粗末な土の家で、横に穴を開けて光をいれたり、煙を出したりしている」、「その(この旅行の)最後の峠は浪岡にあった。津軽坂(鶴ヶ坂)というところであった。」
 彼女は豪雨のあとの悪路に苦しみました。人力車が泥にもぐり、たびたび降りなければならなかったのです。また、家屋や食品など、浪岡付近の生活の様子をよく観察しています。
明治30年頃の民家(鶴ケ坂付近)
明治30年頃の民家(鶴ケ坂付近)
 それから、3年後、明治14年9月8日、明治天皇は青森から逆のコースで弘前に向かわれました。浪岡地方の事柄を、随員が記した『扈蹕日乗(こひつにちじょう)』から抜きだしてみましょう。
 「右ニ梵珠山ヲ大釈迦駅二至ル。此間更ニ新道ヲ開鑿(削)シテ。未ダ半ニ至ラス。…浪岡城墟、村東五六町田畝ノ間二在り。…北畠氏ノ拠ル処。…サキノ森及び林元。皆古墓数数基アリ。共ニ五輪塔ナリ。北畠氏の遺塋(墓)トス」
 随員の関心は南朝の忠臣北畠氏に在ったようです。対照的な旅行記ですが、110年後、町の歴史をいろいろと考えさせてくれます。

【浪岡町史編さん室長 佐藤仁】

『広報なみおか』平成7年(1995)9月1日号に掲載


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