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ホーム > 市政情報 > 青森市はこんなまちです > 市長の部屋 > 市長記者会見 > 平成28年度 市長記者会見 > 市長退任記者会見(平成28年10月31日開催)

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更新日:2016年11月14日

市長退任記者会見(平成28年10月31日開催)

日時:平成28年10月31日(月曜日)午後2時00から
場所:市役所第2庁舎2階庁議室

質疑応答

退任に当たっての所感について

報道関係者の皆様、本日の私の退任の記者会見にお集まりいただき、誠にありがとうございます。

私は、先週28日の臨時市議会において議会のご同意をいただきまして、本日10月31日をもって青森市長の職を辞することとなりました。

平成21年4月の私にとって最初の市長選で市民の皆様の負託をお受けしてから、これまでの7年半余りの間、私の市政運営について、闊達(かったつ)な議論を交わした議員の皆様、支えていただいた市職員の皆様、ご協力をいただきました関係者の皆様、ここにおられる報道関係者の皆様、そしてなによりも市民の皆様に対しまして、深く感謝申し上げたいと存じます。そしてまた、任期途中で退任いたしますことについて、お詫び申し上げる次第でございます。

この記者会見が私の青森市長としての最後の記者会見となりますが、市長職を辞する理由等につきましては、今月の2回の記者会見や先週の臨時市議会でも申し述べてまいりましたので、本日は、7年半余りの市政運営全体を通しての退任に当たっての私の所感について、報道関係者の皆様と、その報道を通した形で、市民の皆様に対して、述べさせていただければと存じます。

私は、この青森市で生まれ育ち、この地の歴史、文化、風土、人を深く愛する市民の一人として、市長や議員になる以前から、様々な市民活動をしながら、市民や地域の声を聴いてまいりました。そのことが私自身のその後の政治活動の原点となっております。
その後、市長になるまでの間、市議会議員、そして県議会議員として、常に特定の党派に所属せず、また、特定の組織・団体に依存することなく、市民派無所属として、市議会及び県議会議員時代は、でき得る限り街頭で自らの考えを発信し続けながら、本市の政治、行政に関与し、見続けてまいりました。それは、市政は市民のためのものであり、市民が主役でなければならない、という一貫した信念からでありました。
そのような中で、それまでの市政運営は、主役であるはずの市民の皆様に対する情報の提供などのいわば市政全般に係る透明性、あるいは情報公開がいささか低いのではないかという思いがあったため、平成21年4月の青森市長選に出馬を決意したところでありました。
結果として、多くの市民の皆様のご支援とご支持をいただき、青森市政を担わせていただくこととなり、市長就任後は、「市民とともにつくる 市民のための市政」これを基本とし、「水と緑と人が共生し 地域の絆で築く 市民主役の元気都市・あおもり」をまちづくりの目標の将来都市像として定め、各施策を展開してまいりました。また、平成25年4月の市長選においても再び多くのご支持をいただきまして、今日まで青森市長の職を務めさせていただいたところでございます。

このような私の政治信条から、市長就任後は、できる限り多くの情報を広く市民の皆様に提供しつつ、幅広く市民の皆様との対話・参加を通じた市政運営を行っていくことを本旨とし、100人委員広聴会、市民と市長のなんでもトーク、まちづくり政策形成市民懇談会を設置したほか、市民意識調査の調査対象人数の拡大、審議会等の公募委員の拡大などによる市民の市政参加の充実などに取り組み、それぞれの取組の中でいただいたご意見等について、できる限り市政運営に反映するため努めてまいりました。これまでご意見、ご提言、ご指摘等をお寄せいただいた皆様に対しまして、心から感謝申し上げる次第であります。

この7年半余りの間、全力で走ってきた日々であったと思いますが、「できたこと、できなかったこと」「うまくいったこと、うまくいかなかったこと」も含めて市政運営上様々なことがありましたが、2回の選挙で掲げた、232項目のマニフェストを始め、私が行ってきた様々な個々の取組については、本日この場で総括するつもりはございませんし、そもそも自分自身で評価するものではなく、客観的に、又は、時間や歴史によりおのずと総括されるべきもの、そして、市民の皆様が評価するべきものと考えています。

ただ、市長在任中において感慨深い、または強いインパクトとして思い出されることとしては、平成22年12月4日の「東北新幹線新青森駅開業」、そして平成23年3月11日の「東日本大震災」の2つであります。

開業の日の新幹線ホームでの開業セレモニーに、市長として臨む光栄にあずかり、あの1番列車の姿を見たとき、昭和40年代の新幹線整備に係る構想や基本計画から開業までの約40年間の社会経済情勢や国の財政状況の変化への対応、ルートや駅舎に係る調整など、紆余(うよ)曲折と苦難に満ちた道のりについて、先人の皆様の長きにわたる様々な問題・課題を乗り越えるためのご努力が思い起こされ、言葉にならない感無量の心境になったことが今でも思い出されます。
また、それまでの開業準備に係る取組や、その後の北海道新幹線延伸に向けた地域振興策への取組について、新幹線を強力な地域振興ツールとして本市の発展に活用しなければならないものとの思いを強くし、その責任の重大さを痛感したところでもありました。

そして、その新幹線開業から3か月後、まちの真価が問われる新幹線開業の実質1年目の春の観光シーズン開幕を控え、九州新幹線鹿児島ルート全線開業による地域間競争にも正にこれから臨もうとしていた平成23年3月11日午後2時46分、あの辛く悲しい瞬間が訪れました。
マグニチュード9.0の大地震と、それにより広大な地域と人々を飲み込んだ大津波、東京電力福島第1原子力発電所の炉心溶融事故などにより、多くの死者、行方不明者、避難者を出した未曾有の大災害であり、人智を超えた自然災害の脅威を痛切に感じました。
本市は人的・物的な直接被害は免れたものの、長時間に渡る停電や、物資の流通が遮断されたことに伴う深刻な燃料不足、物資不足といった、市民生活への影響がしばらく続きましたが、市民の皆様の冷静かつ理性的で我慢強い姿勢によるご協力により、この危機的な期間を乗り切ることができました。
また、震災の復旧・復興に向けて、被災地への職員の派遣、救援物資の提供及び避難者の皆様を本市へ受け入れて励ますなど、可能な限り様々な支援活動を行いました。
原発事故等による風評被害、それらによる観光客の落ち込み、そのことに対する対応についても関係各位のご努力をいただき、取り組むことができました。
さらに、被災地東北の復興の祈願と犠牲者の鎮魂のため、東北六県県庁所在地の祭りが一堂に会する「東北六魂祭」をスタートさせ、東北の元気を発信し続け、第6回の本年度は本市で開催することができました。
あれから5年半の月日が流れましたが、未だ復興は半ばではありますが、必ずや復興を成し遂げるものと祈らずにはいられません。

また、この2つの出来事のほかにも、「まちづくり基本条例」、「子どもの権利条例」、「平和の日条例」の制定や、子どもの医療費無料化、旧浪岡町との合併検証、脱原発依存社会の実現の方針、あるいは官製談合への対応、食のまちづくり、健康づくり、アートで音楽のまちづくり、ごみの減量化等、挙げればキリがありませんが、感慨深い出来事がたくさんございました。

私は本日で市長の職を辞することになりますが、私の青森市を愛する気持ちは何ら変わることはありません。本市の持つ豊かな地域資源、そして市民の皆様の力をオール青森、チーム青森市役所として結集し、市民の皆様が将来に希望を持ち、これからも明るく元気で、笑顔にあふれた楽しい生活を送り、私たちのふるさと青森市が、子どもたちに誇れる、永遠に北のまほろばとして、また、市民主役の元気都市として発展することを心から願っております。

最後に、これまでの私に対するご支援、ご協力に対しまして、改めて深く感謝申し上げます。
7年半、本当にありがとうございました。

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質疑応答

Q 7年半のご自身の施策の中で、力を入れた施策を挙げるとすると何でしょうか。
A
(市長)
子どもの施策と市民参加の市政です。

Q 子ども施策というのは、医療費無料化でしょうか。
A
(市長)
はい。その他に、子どもの権利条例、学校給食の子どもアレルギー対策、子どもの居場所づくり、病児一時保育等々です。

Q 市民参加の市政は、市民と市長のなんでもトーク等ですか。
A
(市長)
はい。その他に、やはりあおもり市民100人委員広聴会、また、審議会です。審議会の委員にはこれまで、団体の代表者等に就任いただいておりましたが、基本的に市民の公募とすることとしました。例えば、特別職報酬等審議会の活動は、ある意味ではうまく機能していませんでしたが、委員に市民も参加していただき、審議会から答申をいただくという取組をいたしました。また、一万人アンケートや、最初のマニフェスト項目である、市役所の土曜日・日曜日の開庁も実施しました。土曜日・日曜日の開庁は実際に行ったところ、日曜日の利用者はそれほど多くなかったので、日曜日は取り止めし、土曜日だけは現在も開庁しております。また、なんでも相談室の取組は、今も続けさせていただいております。

Q やり残したことも多々あるかと思いますが、次の市長にどのようなことを望まれますか。また、次の市長にアドバイスをいただけることがありましたら、お願いします。
A
(市長)
冒頭で、市民が主役の市政、市民参加ということを申し上げました。正に市政の基本は市民が主役です。私とすれば任期半ばであり、道半ばですので、望むこととすれば、やはり、市民が主役の市政を、更に充実、進化させ、あるいは拡大、強化していただきたいと思っています。それはアドバイスではなく願いです。

Q 市議、県議を経て市長に就任されていますが、いわゆる行政をチェックする側の議員から、行政運営を行う市長となったときに、この違いに対して苦悩等はあったのでしょうか。また、そのことを克服する際や運営する中で見えてきたものがあれば教えてください。
A
(市長)
議員は議会という議決機関であり、首長は行政の執行機関であり、二つは車の両輪として、二元代表制として、それぞれが役割分担し合って、地方自治、行政の政治が成り立つということが基本となっておりますので、私が市長として市政を進める上では、市会議員、県会議員の経験がプラスになったと思っています。
もう一つ、違いとしては、一方は執行機関、一方は議決機関として、それぞれの役割、権限、責任に違いがあります。予算については、市長に予算の編成権がありますが、議会がその予算を議決しなければ、長は執行できないことになり、法的には様々なやり方がありますが、基本的には、議決機関と執行機関の違いだろうと思います。

Q その二つを経験した中で、議員から首長になったときの難しさや苦悩はあったのでしょうか。
A
(市長)
議員はある問題について主張や提案をし、あるいはチェックを行う訳ですが、首長は全体を見ながら執行していかなければならないという難しさがあります。その点は、議員のときの、提案し、議決する、あるいは賛否を決めるという議員活動としてのポジションと、首長として実際に議会に提案し、そして執行するということには違いがあります。そして執行し、正に私は今回、辞職という責任の果たし方を選択した訳です。そのように議員の立場と首長の立場については、違いというものを感じています。

Q 次期市長選でどなたか特定の候補者を支援するという考えはあるでしょうか。
A
(市長)
渋谷哲一氏を、勝手に応援したいと考えております。7年半前、渋谷氏が私を自ら支援してくださいました。渋谷氏が私を支援した一番の理由は、私が申し上げた、市政を変えなければならない、市民が主役の市政にしなければならないということに、渋谷氏が賛同、共鳴し、支援という表明をいただきました。今回、渋谷氏が立候補を表明するに当たって、市民が主役の市政という部分については、思いを同じにし、更に進めていかなければならないというご主旨の発言をされていました。これはこれまでの政治の常識からすると、かなり思い切ったものだと思います。任期半ばで辞める市長の政治スタンスの一部分を次の候補者が、半ばなのでやるということは、政治家としてはなかなか言えないでしょうし、非常に決意を持った言いかただったと思います。私が7年半前に立候補を表明したときに、渋谷氏が私のそのような部分に共鳴し、応援をしていただいたのと同じ発想かも知れません。政策のすり合わせもしておりませんし、そのような話も渋谷氏とはしておりません。渋谷氏は私の議会運営等の様々な市政への取組等について、満点や及第点ということではなく、むしろ、このようなやり方や取組をすべきではないか、というお話をこれまでもしてされておりましたから、一部報道では後継者ということが報じられましたが、そのようなことは全くございません。私が市長に立候補した発端である、市民が主役、主体の市政にしなければならないという思いで渋谷氏が立候補を決意された。そのことに私自身が共鳴し、分かりやすく言うと、勝手に応援をさせていただくということです。もちろん、私が応援することで渋谷氏の迷惑になるのであれば、それは控えなければならないし、迷惑にならないのであれば、勝手に応援していきたいと思います。

Q 今後、具体的にどのような形で応援をしていくのでしょうか。現時点で何かあればお聞かせください。
A
(市長)
そのことについては、まだ何も考えていませんし、そのような話もしておりません。

Q 渋谷氏が立候補を表明してから市長にお願いしてきたという訳ではなく、市長ご自身の意思で支援されるということでよろしいでしょうか。
A
(市長)
はい。7年半前も、私が渋谷氏に応援をお願いし、渋谷氏が私を応援したという形ではございません。それぞれの決意表明を聞いて、そして、応援に至ったということです。

Q 市長が市議会議員に立候補したのが25歳と29歳のときで、33歳から市議を9年務め、その後、県議を18年という経歴でよろしいでしょうか。
A
(市長)
はい。市議会議員選挙を、25歳と29歳のとき、2回落選し、3度目の33歳で当選しました。その後、市議会議員を3期目の2年目まで9年務め、平成3年に県議員選に挑戦しました。

Q 明日から一市民に戻りますが、明日から青森市や、青森市政にどのように関わりたいとお考えでしょうか。
A
(市長)
市長職を離れる訳ですから、市民の一人として関わるということになるかと思いますが、具体的に考えているものはありません。ただ、北のまほろばとして、永遠に青森市が「市民主役の元気都市・あおもり」として、発展していただければという願いでおります。

Q 7年半、市長を務められて、この施策だけはやりたかったが、できなかったという施策は何ですか。逆に、これだけは本当にできて良かったという施策は、何ですか。
A
(市長)
できて良かったという施策を挙げるとすれば、子どもの医療費の無料化、そして拡大です。議会ではかなりの反対がありましたが、最終的には賛成多数でご議決いただきました。それから、子どもの権利条例もそうです。県内では初めてで、東北でも3番目位だったと思います。子ども自身から、この条例が県内全部の市町村にできればいい、というお話をいただきました。そのような点で、医療費の無料化と拡大、子ども権利条例、そのような子ども施策ができて良かったと思っています。
これをやりたかった、ということについては、操車場の跡地利用です。この計画については、低炭素型モデルタウン構想を議会に提案いたしましたが、計画を断念しました。市民の皆様からも様々な声がありました。低炭素型モデルタウン構想が無くなり、その後、操車場跡地をどのようにするか、県との協議をしております。あの場所に市役所を、との声も一時ありましたが、私なりの思いとすれば、県の地域医療構想の中でどのような形になるか分かりませんが、県と議論している中で操車場の跡地に、古くなっている市民病院が何らかの形でできればという願いはありました。しかし、行政というレベルでは全く表に出す機会もなく、非常に大きな心残りです。

Q 低炭素型モデルタウン構想は、今もまだあるのでしょうか。
A
(市長)
市として公にされたものはございませんが、できなかったものは何か、と問われましたので、本音で申し上げました。行政としては、決まったものはございません。市民病院には審議会があり、操車場跡地の利用計画については、県の土地でもありますから、県との協議が必要です。行政の長として物事を進めるに当たって必要な手続きや手順もまだ具体的に進んでおりません。私としてはそれを進めたかった、ということです。

Q 今後の政治活動について、何か考えられているものはありますか。
A
(市長)
大変申し訳ありませんが、何も考えられません。アウガのことや、浪岡の生徒のこと、また、操車場跡地のことですとか、自分でやろう、やりたい、あるいはやれなかったこと、そのような思いが、まだ頭と胸の中にありますので、他の道は全く考えることができません。

Q 7年半を振り返ると、議案が否決されたり、修正可決されるということが何度もありました。なかなかうまくいかない場面があったかと思いますが、議会に対してはどのような思いがありますか。
A
(市長)
何をどう言ったらいいのか、複雑という心境です。ただ、私がやろうとしたことについても、議決いただきました。子どもの医療費についても、今回のアウガのことについてもそうですし、予算案等々、私がやろうとしたことや、そして市民と約束したこと、また議会との議論の中で出てきたこと、それを議会でご議決いただいたからこそできた訳です。ご議決いただけなければ実現できなかった訳ですので、議会に対しての思いを一言で言うとすれば、それは、非常に感謝しているということです。

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問合せ

所属課室:青森市市民政策部広報広聴課

青森市中央一丁目22-5

電話番号:017-734-5106

ファックス番号:017-734-5103

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